特別鼎談:
長塚圭史×落合陽一×シライケイタ
「社会と芸術」

インタビュー

シライ 本当に素晴らしい。開演時間も20時ぐらいでしたよね?そこに老夫婦が折りたたみ椅子を持って並ぶじゃないですか。

落合 あんなに美しい光景はないわけですよ。

シライ ないですね。評判が良い作品に人が並んで待つっていう事に感動しましたね。

落合 バービカンは、本当に美しいですね。今でもイギリス人の血肉になっている。でも、バービカンセンターをそもそも作った時期は、第二次世界大戦で廃墟になった地域を再開発する時で1982年なので、ここ40年ぐらいじゃないですか?それで、ああやって馴染んだカルチャーを作れているのは凄く面白いし、こういう場所を日本の都市にもちゃんと作りたい。下北の例もそうですけど。最近の子供達の授業にはダンスだってあるんだから。

シライ 演劇も子供達に演劇を教えるとか、ワークショップファシリテーターっていう人も増えてきてるから、間口はかつてよりは随分広がっていると思うんですけどね。この点では公共劇場が盛んで活発な気がするけど、KAATもそうだし、世田谷パブリックシアターもそうだし。

長塚 呼びかけやすいよね・・・。子供の為とか教育の為っていうと持っていき易いし、習慣にするにはやっぱり重要な事。教育の中に演劇がどれぐらい入れられるのか?っていうのは一つ課題ですよね。

シライ コロナ禍では、オンライン演劇っていうのも流行ったし、演劇が広がっていく事に可能性を感じて、もしかしたら100人の劇場に何万人も動員できるっていう事もあるんじゃないかと思ったけど、結果そうならなかったですね。これって何でだったんだろう?

落合 やっぱり、映像コンテンツとして作り込みが面白くないって思っていて、それから、映画だってネットフリックスと勝負したら単価で勝てないですし、ユーチューブなんてほぼ無料で、ネットフリックスは月額数百円で、NHKの方が実は高いサブスクだったとかって思いながら、といいつつ僕はあの日本最大の動画配信サブスクであるNHKは結構好きなんですけどね(笑)それらと比べてオンライン演劇が生き残れるかどうかって話なので、そうするとハードルが高い。

長塚 やっぱり演劇って自分の周りに観客がいて演者がいる。その空間体験だし、これはもう変えようがなくて。

落合 人生を変える程震えれば、見に来てくれるけれど。ストリーミングで震えを伝えるのは難しい。

長塚 県の劇場をやりながら、こんな事を言ってどうなんだ?と思われるかもしれけれど、結局は隣の人に見に来てくれってお願いして、そうやってこの地域の劇場ですって語りかけて、人に会っていくしかない。すると、SNSよりも多くの人が動いたりする。

落合 それは、凄く分かる。足と対面、ネットワークが大切。

シライ コロナになって、あっという間に人が不自由になった瞬間に、テクノロジーは急速に発達して、このZOOMだってそうですよね?

落合 そうですね。コロナなってからブレイクしましたね。

シライ 人が不便になると便利になるけど、その事で演劇が思うほどオンラインと親和性が高くなかったっていうか。配信やっても今はほとんど売れないですしね、段々と劇場に来れるように戻ってきたから。

落合 うちの学生さんとか、共同研究者の人と話していたのは、どうして俺たちは会議用のツールをこんなに沢山作ってきたのに、身体とかセックスとか凄く重要なテーマについて、コンピューターは支援をして来なかったのか?って真面目に考えるよねって。コンピューターって衣食住とは関係ないじゃないですか?肝心の食べ物を食べる事に全然使っていないし、寝る事とか住む事や着る事にだって使わない。三大欲求の睡眠もセックスも食欲も寝る事に使わない。つまり、人間を今の状態から動物じゃないものにしてしまうか?もしくはコンピューターを「動物化」するか?その2択しかないかもしれないと思うと結構面白くて。僕はコンピューターを動物化する方が好きなタイプで計算機が新しく自然化した世界を「デジタルネイチャー」と呼んでますが、計算機が自然を包括してくれれば、もうちょっと衣食住も柔らかくなるんだけどなって思いながら過ごしています。

シライ コンピューターが動物化する?

落合 僕は、コンピューターが自然化するって言うんですけど、自然の一部としてコンピューターが含まれる。自然物としてのコンピューターを考えていて、僕らはそれを「デジタルネイチャー」と呼んでいます。「デジタルネイチャー」って何かを説明しないといけないと思うので画面共有をしていいですか?

長塚 え?その話聞けるの?嬉しいなぁ。落合さんのその辺がとても面白そうだと感じていて、これから何が共存出来て、何が淘汰されていくのか?という事をずっと考えているじゃないですか?

落合 はい。昔の「自然」っていうのは、ゆっくりとした速度だったんです。「自然」の進化って物理的に低速だったので、科学者が「自然」を明らかにする事が出来た。世界中にある計算機には、生物っていうbiologicalな計算をする人類とか虫とか人工物がいて、MacPCや iphoneとか色々と作ってみたけれどそんなに早い速度ではなかった。
計算機が「自然」に満ち溢れていくと、「自然」っていうのはやがて変化をしていき、一瞬一瞬で技術進化が起こって違う形になり、人工計算機が世の中に増えていく。アルゴリズムも進化するし形も変わって違ったものになる。物理的には変わらないけど、中身が急激に進化する計算機が入る。
これは「自然」の進化法や法則なんです。「自然」というのは、昔からある「自然」と、デジタルの上にある「自然」の二つが含まれる意味なんですけど、計算機の進化は、人間の認識より遥かに早いので科学は「自然」を追いきれない。この現象については『魔法の世紀』っていう本に書いたんです。世界の再魔術化が計算機文脈で起こっていくということです。そしてその進展とともに計算機の中と外の「自然」は、やがて一つの「自然」となり、大いなる「自然」を「新しい名前」で呼ばないといけなくなる。それを「計算機自然」と呼んでいます。
今の時代は、計算機の魔術化によって、ほぼ理由が分かっていないのに、結果が使える時代になっています。ここであらゆるものの動作や理由が分かっていない事の現代において重要な点は、多くの場合、専門家ですら分かっていないという事。だけど結果が出るから使っている。そんな「デジタルネイチャー」が物凄いスピードで進化しているので、今までの世界認識では追いつけていないんです。
今これって見えてますか?Stable Diffusion Developer Adoptionっていうのなんですけど、世の中にはBitcoinとかEthereumとか色々なものがあって、その中でStable Diffusionの進化は直角なんです。恐らくこれはこのままの速度で行くだろうと思います。後、シンギュラリティが2040年って言われたのは、2011年から見た角度なんですけど、シンギュラリティと言われた後に、世の中はAIの研究をしまくるようになったので、角度がもっと急になっていきました。
AGIという人間レベルを超えたコンピュータ知能に人がアクセスでき始めるのは2025年から2030年の間にはなるだろうって最近は言われています。日本人は意外とこういう類いの話をしないので、意外と気付いてない。でも、一端では気付いていて、例えばAIで画像を生成するのも綺麗にできるし、動画だって作れるじゃないですか?昔はアニメーションを書くって物凄いコストがかかったんだけど、今はリアルタイムで出来るし出来上がる量も凄く多い。最近は論文を出してくれる人工知能も出てきてしまいました。
やがて一部のめちゃくちゃ面白い事を思いつく人だけが、論文を1人で200本とかあげる様になるんですよ。この速度感がすごく良くて・・・。その感じは、ちょっと見た方が早いかもですね。

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