特別鼎談:
長塚圭史×落合陽一×シライケイタ
「社会と芸術」

インタビュー

長塚 有名な俳優さんが主演をして、後はお芝居の出来る人、若手の俳優さん達が周囲を固める。これで、なんとなく興行が成立するフォルムになっちゃっている。でも、神奈川県の劇場ですよ?県の劇場がそのやり方で東京と張り合ってもね・・・。主演の有名な俳優を取り合うような状態になった時に、これは一体、誰の?何の為の劇場なんだ?っていう問題が生じてくるわけで。勿論、お客さんが大勢入っていいのだけど、そのお客さんは、推しの俳優さんが出演しない限りKAATに来ないわけです。そうすると、劇場の公共性ってどこにあるんだ?興行が成立すれば、公共性が保たれるのか?僕は違うと思う。なんとか演劇を見る習慣を少しでもつけるようにしたいわけですよ。但し、それをするとお客さんが全然入らない可能性も増すわけで、長塚さんのプログラムは全然お客さん入らないって会議でちくちく言われるわけです。

落合 別にお客さんを入れようと思って仕事をしてるわけじゃないんですから、そんなの関係ないじゃないですか。お客さんが多いか少ないかなんてバリューの一つでしかない。僕は映画が面白いかどうかは映画の一要素でしかすぎない、みたいな話結構好きです。

長塚 でも、実際には、そこにお金がかかるから、税金を投入したって赤字が出て来るし、劇場で働く人達の人件費も確保しなきゃいけない。これも高騰してくるわけなんです。僕も、皆も自分から就労費は下げないから上がっていく一方で、その上物価も上がるからチケット代も上がっていく。じゃあ、どうするのか?って。
公共劇場なんだから、もっとチケット代を安くして、働き手のコストもシステムから考えていかないといけないんだけど、KAATだけでやるわけにもいかない。仮にKAATだけでギャランティーの仕組みを作ったら、あそこは給料安いから高い方の仕事を優先するってなっちゃうだけだから、ルールが必要になる。
人が気軽に入って来られる場所を作っていけるかって模索するんだけど、アーティストも食っていかなきゃいけないから。そこを凄く考えなきゃいけない。

落合 はい、実によく分かります。ありたい姿と生活はまた違うかもしれない。

シライ 是非、公共劇場でやって欲しい。逆に、個人的にしか作品を作っていない人もいる中で、文化庁からの助成金を貰おうとすると、この作品を上演する事で社会にどういう意味があるか?みたいな事を書かされるんだけど、本来はそんなこと考えて作品を作っていなくて、それが凄く窮屈なわけです。

落合 仰る通りだと思います。社会性もまたバリューの一つにしかすぎない。

シライ 自分のやりたい作品をやる。そう思う人が増えれば増えるほど「豊かな社会」っていう事で良いんじゃないか?って思うんだけど、何でこうなっちゃったんだろう?

落合 やっぱり、こういう議論でよく思うのです。習慣がない所に芸術を作ろうとしているから、凄く大変なんだろうなっていう感じはしていて・・・。
ヨーロッパの劇場とかギャラリーは、生活の中に入っているじゃないですか?オーケストラとかも含めて。僕らも、昔から寄席はあるし、歌舞伎もあるし、能がある事も知っている。しかしながら、ヨーロッパの社会機能を明治時代に持ってきて、100年をして根付いていないっていうのは、流れる文化の血の歴史が浅い。何となくですけど、フランス移民が人口の半分いたとしたら、劇場にみんな行くと思うんです(笑)
ここはアジアの極東で、島国で大陸と比べて遺伝的多様性も少ないし輸入物が馴染むには結構な時間がかかるんじゃないかな。カステラぐらい時間があれば馴染むのかもしれないけど。後、200年ぐらいはかかるんじゃないかな? と思いながら私個人としては気長にやっていたりもするんですけれど。

長塚 その通り習慣がないからね。じゃあ何をするか!?って言うと、例えば秋に盆踊りを10年もやっていたら「あの人達は何なんだろう?秋に盆踊りやっている人達って、なんかいい奴らだね・・・。あの人達って盆踊りと同時に劇場でも何かやっているらしいよ!?」っていう風に、こつこつやるしかない。ただ、効率が良くないから馬鹿にもされるけど。なんか、いいアイディアがないですかね?

落合 非常に面白いなって思います。盆踊りとか太鼓とかって、やっぱり戦後のカルチャーが強いと思うんですよ。どういう意味かと言うと、古典として盆踊りや雅楽をやっていたけれど、お祭りとして大衆化したのはGHQ以降だから、ここ70年ぐらいの歴史が殆どのくせに、馴染むのが早い。
劇場とかオーケストラの方が昔からやっているのに、組太鼓でパフォーマンス公演します!みたいな感じの人達が出てきてからはまだ50年か60年ぐらい。なのに、元々無かったカルチャーになぜか融合して、日本中で盆踊りをするようになったっていう事は、凄く上手いカルチャーだったんだろうと思います。だから、そういう古そうで新しい大衆化がうまく行ったカルチャーを取り込んでいくのは大切なことだと思う。みんなきっと好きなんだろう。

長塚 信じられないけど、あっという間に会場に人が押し寄せて来て、老若男女が約2時間半ぐらい楽しそうにずっと踊り続けているんです。こういう事を続けていたら何かになるのかなって思います。ならないかもしれないけれど。

シライ なるって信じないと出来なくて。文化庁というか役所のような視点に戻すと、どんどん文化予算が削られている中で、そういう「もしかしたら未来の為になるのかもしれないし、ならないかもしれない」っていうような活動にこそお金が必要だと思うんだけど・・・。
今って反対じゃないですか?形になったものには助成するけれど、海の者とも山の者とも分からない若い人達への助成金システムはどんどん削減されていって。結構やばいと思っているんだけど、どう思われます?芸術文化振興基金もいずれ無くなるなんて囁かれているし。

落合 そういうのの委員をしながら思うことは、いつもすみません。力不足で申し訳ないです、ということかもしれません。

シライ 広く浅くっていうよりも、狭く深くっていう風に段々と助成金システムが傾いているような気がして、自分達で自分達の首を絞めてるような事なのに、どうにかなんないのかなぁって思って。

 良い悪いをGDP観点で見ている国に、芸術の理解は困難です。文化庁予算の枠組みを決める委員会で、メディアアートの困窮を説明したりするんです。ただ、国全体がビジネスイノベーションの創出に向かって傾いています。アートって長い人類の不断の営みなので、ビジネスイノベーションがどうとかっていう話でもないじゃないですか?本質的には関係がないことです。アートにもイノベーションは多くある。歌舞伎が生まれることもあれば、ビデオ彫刻が生まれることもある。勿論、この時代にビジネスやアートのイノベーションを出すのは成熟社会において重要な事です。だからより良い物を作りたいはずなんですけど、ビジネスイノベーションに軸足を置いた物はアートじゃないよな・・・って思うことも多い。ただ、社会化・社会発信が容易になってそこの経済的価値を換算しやすい社会においては、自己完結型のアートにお金はどんどん落ちなくなっていくんだろうなぁっていう印象があります。

シライ 盆踊りに助成金はあったんですか?

長塚 ないない。みんなで面白がってやっていただけです。

シライ あれ?アルバイトもしてましたよね?

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