特別鼎談:
長塚圭史×落合陽一×シライケイタ
「社会と芸術」

インタビュー

長塚 冗談でね。ジンギスカン屋で(笑)
どこまでが劇場でどこまでが見世物でどこまでが本当なのかが分からない事をしようと思って、それを地域の人が面白がってくれればと。それと、もう一つ言うと、僕の劇団は30人ぐらいの人がいて、それぞれ俳優とか大道具とか、舞台監督とか美術家だけじゃなくて学生もいて、主婦の人が制作をやっている。でもその中で、俳優達って職業的に商業演劇のサイクルに入っちゃっているから、なんか僕がやってくれるものだと思っていて、演出をしてもらえるとも思っていて、盆踊りみたいな不明の企画をやる事で、そのやってもらえる発想を崩して、自分達が何かをやるんだって思う為の投資だったんです。お客さんとの出会いに溢れたから何かに繋がるかもしれないから良い投資になりました。
これも、イギリスのナショナルシアターで僕がすごく感銘を受けた場所があったからなんですけど、作品開発しかしていない建物っていうのがあるんです。僕のアイディアを持っていって採用されると、一週間でも二週間でもワークショップをさせてくれる。何が必要ですか?って聞いてくれて、その作品のプロセスが面白そうだった場合は、後5人程雇っていいので7人で考えましょうって。そのワークショップ期間中はちゃんと賃金をもらえるんです。『ウォー・ホース』っていうお芝居には、実物サイズのパペットの馬を人間が動かすっていう凄いパフォーマンスがあるんですけど、それがやっぱり面白い。主人公が仔馬と一緒に育っていく話なんだけど、あれってシライケイタさんはご覧になりました?

シライ 見ました、二回見ましたよ。あれは、凄い。

長塚 木で作られた、人間が手動で動かす子馬が成長していって、後で成長した大きな木の馬が現われる。それが舞台の奥から物凄い迫力で走ってくる木の馬もいて、それを見た時に、「これもナショナル・シアターのスタジオで5年か6年かけて作ったやつなんだ」って聞いて。

シライ あの作品を見ると本当に羨ましく思う。あれに限らず、イギリスの芝居なんか見ると羨ましい。単純にお金をかけたって事じゃなくて。時間をかけているから。

落合 (舞台映像を見て)クリエイティブですね。これ!いや、凄いな。

長塚 僕らは、例えばこういうものを作れるように、豊かな発想を持つように人材を育成して行く。発想を育てていかないと、有名な人が有名な場所で仕事をする事でしか劇場に行く理由がなくなってしまう。

落合 こういう仕事は相当出来ない。メディアアートの作家をやっているので、演者がいない形でのこういう仕事をする事が多いんですけど、いろんな合理性が人間の意地で突破されている。これは本当に凄いね。出来ない。

シライ 日本では、後何年くらいかかるんだって思う。

落合 こういう物が自然に生まれる仕組みがね。組み込まれて無いですね。うちの国は。もちろん習慣の問題は大きいのだろうけれども。文化も技量も。練習していかないと。

シライ ハリーポッターの舞台も凄くて、何10年かけても予算回収ができる勝算があるんだろうなぁ。いくらかかってるのか想像もつかないし、テクニックが物凄い。じゃあ、日本のオリジナル作品で同じレベルの物を作る事が出来るのか?って・・・。長塚さん見ました?

長塚 ロンドンで見ました。色々なマジックがあるんだけど、アナログな事をベースに作っていて、シンプルなテクニックを使ってマジカルに見せているという点においては、めちゃくちゃ面白いなと思います。演劇ってデジタル化するとつまらないですしね。『ウォー・ホース』だってね、馬が動くとホコリが立つんですよ。馬が立ち上がる時にパッと舞う印象的なホコリをお客さんは劇場で記憶するんです。

シライ 本当に、こういう作品を作り出せるようになりたいね。我が国も。

落合 100年ぐらいすれば、もっとまともになると思うんですけど

シライ 100年かかりますか・・・。

落合 人類が劇場を使い始めたのってだいぶ昔ですよね。シェイクスピアからの長い歴史とか、ギリシャから数えばもっともっと長いけれど。シェイクスピアの時代感で言えば、日本では能舞台とか盆踊りや歌舞伎のロジックから行けばもっと早く進むかもしれない。
中村獅童さんにお誘いいただいてスーパー歌舞伎を見に行ったんです。スーパー歌舞伎がインテリじゃないって事ではないんですけど、本来の歌舞伎って、リラックスしながら大衆の中でキラキラのミラーボールが光るぐらいの感じのものだったはずなのに、そうじゃない歌舞伎になっていったものへのアンチテーゼとしては素晴らしく良く出来てるなって思いました。
世間との距離が遠いものは、貴族文化としてしか日本人は残して来ていないから、ポエティックでプライベートなアートっていうものを文化として持つためには大衆化しないパトロン文化のようなものを作っていかないといけない。お茶室にちゃんと構成されているようなものは、やはりコストをかけた文化。
そこから考えたとき、パブリックアートやギャラリーに置くような芸術作品だったりとかシアターで演じるような芸術作品に対して、習慣的にお金を払う文化を持ってないんだっていうのを痛感したんですね。
ただ、国際化に向けていった時に、劇場に行く事が習慣となっている人達が日本に住むと、あれ?劇場が無い。って話になるから、そこをもっとちゃんとしたいと思うんですけど。国によって感じる違いってありませんかね?どう思います?

シライ 全然違いますよね。全然違う。

落合 バービカンのギャラリーで展示したことがあったんですけど、あそこの施設で面白いなと思うのは、劇場があって展示できる所があって、そこにライブラリーもあって、住宅もあって、周りに学校もあるじゃないですか。だから生態系の中に、シアターが機能として存在している。

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