国際年鑑2022 WEB版
韓国特集・オーストラリア特集(戯曲『カウンティング&クラッキング』一部掲載)

国際演劇交流セミナー 2022年鑑

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ごあいさつ

日本演出者協会 国際部 部長
佐川大輔

この年鑑を開き、読みだしていただき、ありがとうございます。
2022 年もやはりコロナの影響で、講師を招聘しての対面実施はできませんでした。
振り返れば、この年鑑挨拶も、3年連続で「コロナ」という書き出しに。
ああ、この3年、きっと読んでいる皆さんも、十分すぎるほど共有体験があると思うので、これ以上触れるのはやめたいと思います。

さて、2022 年の国際演劇交流セミナーは、韓国、オーストラリアの講師とオンライン実施を行いました。2022 年のセミナーは「コミュニティーとの繋がり」というのが、1 つのキーワード。韓国、オーストラリア共に、演劇を通じて社会とどう繋がっていくかが語られています。日本における演劇の社会認知度は低く、あえて言えばマイノリティー(少数派)である我々が、社会とどう繋がっていくかという意味で、幾つもの視点が提示されているのではないでしょうか?

韓国特集「韓国の文化政策、韓国の芸術(演劇)教育を知ろう」では、韓国が国家的に進めている「学校やコミュニティーにおける演劇活用やそのシステム」を3日間にわたり、伺いました。講師にはミン・ジンキョンさん、ユ・ウンジョンさん、アン・ヨンセさんの3名を招き、「教育演劇の文化政策」、「ファシリテーター育成システム」、「多文化共生プログラム」の3つの視点でご紹介いただきました。

多くの演劇人がAFF などの助成金を活用し、文化行政への関心が高まる今、初日講座の「韓国の文化政策」では、「韓流」の背景にあった国家25年の計(100年の4分の1ですが、それでも凄い)、が詳細に解説されています。特に、文化予算の使途と効果指標、また、芸術家の生活や福祉などの待遇改善を法整備、教育演劇の国家資格化など、様々なシステム構築がされていることは、うらやましく思う限りでした。

オーストラリア特集「自らの声で語り始めた難民、国家の神話を語りなおす先住民」では、戯曲『カウンティング&クラッキング』を使い、作家自身による戯曲紹介と創作秘話、そして、戯曲のリーディング上演を行いました。世界 200ヶ国以上の移民が暮らす多文化主義オーストラリア。講師のシャクティダランさんはスリランカのタミルの後裔であり、彼のルーツを辿るように10 年以上の取材から上演、そして、オーストラリアの演劇界でセンセーションを巻き起こしていくという創作秘話は感動的ですらありました。彼の創作を通じ、どんな変化が周りの人々に生まれたのかもつぶさに語られ、演劇の持つ可能性を感じ、勇気づけられました。

また、関係各位の寄稿文がとても興味深い内容です。多様性、多文化を象徴するように、様々な人が様々な立場で語る。まさに自分事のオンパレード。自分事というのは、様々な価値観が混在する現代におけるキーワードだと思うのですが、演劇は「自分事」になってもらううえで強力なツールであることも、この特集から感じたことです。

韓国特集の学校教育における文脈で「概念的な理解と体験的な理解は違う」という趣旨が語られています。私達は「多文化への相互配慮」というお題目は重々承知している。しかし、体感的な経験が、その概念をより深く納得させてくれる。国際演劇交流セミナーでも、次年度こそ講師を来日招聘し、体感理解を深めたいと願っています。

最後に。

この年鑑は前述した文脈で言えば、あくまで「概念的な理解」に過ぎないかもしれません。

しかし、違う場所へ行く一歩、新たな視点の提示はあるはず。旅行前にガイドブックを開くように、気軽に活用してもらえればと。気になるところからでいいので、読んでみてください。そのために、編集委員や関係者が、丁寧に読みやすくしてくれています。関係各位のご尽力に心より感謝します。



#a

韓国特集

《 企画の趣旨 》

 韓国では、2004年からの「文化芸術教育」の推進により、「学校における芸術教育」として全国の学校や施設に、演劇、舞踊、映画、韓国伝統音楽など8つの分野の専門性に応じて「芸術指導員」と呼ばれるアーティストが派遣されています。  
 10年後の2014年には7000校以上の学校に5000人近いアーティストを派遣するまでになりました。この異例の芸術教育の推進、そして、前例のない「芸術指導者の派遣」システムは、諸外国の関心も集めているようです。  
 日本ではまだまだ途上である「芸術(演劇)教育」の活動に活かしていくために、今回の特集を企画しました。
 韓国の文化政策の研究者である閔鎭京(ミン・ジンキョン)さんに『韓国の文化政策のいきさつと取り組み』についてのレクチャーをお願いしました。
 そして、韓国で「芸術(演劇)教育」を実践されている劉恩禎(ユ・ウンジョン)さんと安鏞世(アン・ヨンセ)さんには『韓国の芸術(演劇)教育の現状』のレクチャーをお願いしました。  
 通訳・翻訳は、日本語教育や多言語・多文化交流「パフォーマンス合宿」(PCAMP)など多様な国際プロジェクトを運営する公益財団法人国際文化フォーラム(TJF)より沈 炫旼 (シム・ヒョンミン)さん、通訳補には、日本で演劇活動をされながら演劇教育にも活動を 広げる金恵玲(キム・ヘリョン)さんにお願いしました。


これからの日韓演劇交流の柱のひとつとして

ここ数年、国際演劇交流セミナーの韓国特集に携わっています。そして今年度か らは、「日韓演劇交流センター」の委員となり、演出、劇作、制作、評論家など多種多様な方々が演劇で日韓交流を図り、様々な出会い方をしていることを実感しています。

 日本演出者協会では30 年以上も日韓演劇交流を続けており、それは、付録でも綴られる「日韓演劇交流年表」や「国際演劇交流セミナー実施年表」からも伺えます。

これまで個人としても、上演を目的とした演劇(この言い方が適切か、まだ模索中です)の韓国の実演家たちと出会い、多くの学びがありました。

今回は、少し視点をかえ「芸術(演劇)教育」から韓国を知り、その取り組みを研究者と実践者から学び、今までとは違った角度から韓国の演劇と文化の理解につなげることを目的にしたいと考え企画立案しました。

いざ、始めてみると、想定を超えた新たな下記のような発見と驚きがありました。

セミナー1 日目【講座A】閔 鎭京(ミン・ジンキョン)氏のレクチャーでは、韓国の芸術(演劇)教育の歴史。そして、国と地域財団が主導して取り組む国家政策として推進していることを知りました。

セミナー2 日目【講座B】劉 恩禎(ユ・ウンジョン)氏のレクチャーでは、韓国のティーチング・アーティスト/ TA(日本では、ファシリテーターや進行役と呼ばれます)の育成プロセスを知りました。また、演劇大学を経て、教育大学大学院に進む過程があることが示されました。加えて、学校の教師たちとの共同研究を通じて、芸術を活用した教育課程を開発し運営するシステムが実際にあることを知りました。

韓国の芸術(演劇)教育の歴史と政策は、予想を超える圧倒的な情報量で、私たちの身体におとしていくには多くの時間と労力を要すると感じます。
また、ファシリテーター育成と多文化共生については、いつでも社会の要請に応えられる準備が必要だと感じました。

これらを踏まえ、継続的に、韓国との情報・意見交換を図っていくことが重要だと感じています。
加えて「教育」というキーワードで、広く研鑚の場を作り、公共劇場や統括団体と連携していく可能性も感じました。

「芸術(演劇)教育」(韓国では、俳優や演出家を養成する演劇教育と混同しないように「教育演劇」とも呼ばれる)を、これからの日韓演劇交流の柱のひとつとして推進していくことも視野に入れていこうと考えています。

その実現のために、新たなネットワークを紡いでいけると嬉しいです!

企画担当 柏木俊彦

《日程と内容》

【 講座A 】
8月18日㊍18:30~21:00
韓国の文化政策と芸術(演劇)教育について
講師:閔 鎭京(ミン・ジンキョン)
(1)韓国の文化政策について
(2)芸術(演劇)教育について
☆質疑応答

2004 年から韓国政府が全国的に始めた 「文化芸術教育」 の推進により、 芸術教育分野の環境が急激に変化しています。その代表的な政策としては、全国の学校(8,620校)にアーティスト(5,065名)を派遣する「芸術講師」事業があります。
今回は、芸術(演劇)教育政策の全体像および考え方、そして特色ある取り組みを紹介します。


閔 鎭京(ミン・ジンキョン 민진경 )
 韓国ソウル生まれ 韓国国立オペラ団で演出助手とオペラ制作に携わり、文化庁海外招聘研修生として2000年に来日。東京藝術大学大学院応用音楽学専攻修了(学術博士)。
 2006年より北海道教育大学に在職。専門は文化政策。文化庁と大学・研究機関等との共同研究事業「新型コロナウイルス感染症の影響に伴う諸外国の文化政策の構造変化に関する研究(韓国担当)」(2021年度)等。公益財団法人北海道文化財団「令和2年度アート選奨」 受賞。

PDFファイル容量4.14MB

【 講座B 】
8月19日㊎18:30~21:00
韓国のファシリテーター育成
プログラムについて
講師:劉 恩禎(ユ・ウンジョン)
☆質疑応答

韓国では、ティーチング・アーティスト(TA)が派遣講師として、どのように採用されるのか。また、採用される前/採用された後も、適切なトレーニングの準備がなされているのか。育成プログラムなどが確立しているのか。
 韓国のティーチング・アーティスト(TA)が韓国での実例を交えて紹介します。


劉 恩禎(ユ・ウンジョン 유은정 )
 大学にて演劇演技を専攻。2015年、文化芸術教育士からはじまり、児童青少年を対象とした演劇分野の芸術教育家、TA(Teaching Artist:ティーチング・アーティスト)として活動している。ソウル教育大学教育専門大学院では教育演劇を専攻し、ドラマと青少年の自我アイデンティティーの形成に関する研究を進めた。演劇を通じた芸術と教育の越境、そして私たち全員のアイデンティティーについて模索している

PDFファイル容量2.28MB

【 講座C 】
8月20日㊏14:00~16:30
韓国の芸術(演劇)教育における
多文化共生プログラムについて
講師:安 鏞世(アン・ヨンセ)
☆質疑応答

韓国は、1990年以降、外国人の受け入れに対して開放的・積極的な移民政策へと基本方針を変えました。 また、国内外国人に対しても社会統合政策の一環として 「多文化政策」 が展開されるなど、 政策的大転換を図っています。多文化共生に向けて、韓国の芸術(演劇)教育では、どのようなプログラムが思案され、どんな実践が行われているのでしょうか。
 多文化共生プロジェクトの実践を行なうティーチング・アーティスト(TA)が韓国での実例を紹介します。


安 鏞世(アン・ヨンセ 안용세 )
 ティーチング・アーティスト(TA)。教育研究家。ソウルをベースとしたTouchable Storyシリーズのプログラムディレクター。ソウル芸術大学で演劇を学び、ソウル教育大学校では、ドラマ教育、観客参加型演劇(フォーラムシアター、T.I.E.、アプライドシアター等)、定性的研究の方法論に関する専門教育を受ける。現在は地域と社会の垣根を越えて芸術教育実践家としての活動を広げている。韓国芸術文化教育振興院(Korea Arts & Culture Education Service(KACES))では国際研究プロジェクトを行った。

PDFファイル容量3.90MB

参加者寄稿文

韓国の今を知って

竹内奈緒子

 興味があれば、とお声がけいただき、韓国特集に3日間参加した。私は劇団に所属している俳優だが、10年くらい前からワークショップなどの講師をする機会が増えてきた。お隣韓国の文化政策、演劇教育を知ろうというチラシの文言に誘われ、好奇心にかられた。

 1日目の「韓国の文化政策と芸術(演劇)教育について」は北海道教育大学ミン・ジンキョン先生の講座。

 まず初めに、政策の成果によって韓流が世界に名を馳せていることを知る。韓流支援協力課を設け力を入れているからこその今だったのだ。
 それから、それぞれの大統領とその政権が行った文化政策の歴史を聞く。1998年日本の大衆文化を解放したというニュースは私でも覚えている。当時20そこそこで日本を出たこともなかった私は、韓国で日本の文化が規制されていたことも知らなかった。低所得者層などの文化芸術に触れる機会の少ない層に文化バウチャー事業で機会を提供しているという話も非常に興味深い。
 続いて文化芸術教育政策について。2005年に制定された文化芸術教育支援法で、すべての国民の文化的権利、文化芸術教育を受けられる機会を保障している。2012年から芸術家としての専門性と教育家としての力量および資質を備えた専門人材として学校芸術教育士を国家資格にした。
 大量の情報にクラクラしながら、なお質問をされる皆さんの熱意に圧倒された1日目だった。

 2日目の「韓国のファシリテーター育成プログラムについて」は実際に活動されているユ・ウンジョンさんの講座。

 まずは定義について。ティーチング・アーティスト(TA)だけでなく、演劇の先生、芸術教育家、芸術家教師、芸術講師、芸術教育実践家といろいろな呼び名があるとのこと。
 その後の説明の中で特に印象深かったのは、5つの疑問形の投げかけだ。教師・芸術家協力システムのところで問いかけられた「TAはなぜ学校の教師と協力をしなければならないのでしょうか」「教師とTA共同の目標は何でしょうか」「教師とTAが互いに補い合える部分は何でしょうか」、その後まとめとして出された「TAに必要なものは何でしょうか」「TAはどんなアイデンティティーで芸術教育の現場に存在すべきでしょうか」。
 私も学校に赴いてワークショップをした経験があるが、多くの先生は演劇のことを知らない。もっと話さなければと強く思った。そしてTAとは芸術家なのか教育者なのか、皆さんと話したいテーマである。とても考えさせられる2日目を終えた。

 3日目の「韓国の芸術(演劇)教育における多文化共生プログラムについて」は芸術教育実践家のアン・ヨンセさんの講座。

 まず現状として韓国の外国人に対する受容性はあまり高くない(日本も同様だったが)と、数値が示される。多文化関連活動に参加することによって改善の可能性があることも国の調査で分かっているという。
 社会文化芸術教育事業の「夢が広がる土曜文化学校」の中には、3年、10年続いているプロジェクトもある。持続することで日常化ができている。家族で経験することを推奨し、1人ではできないこと、過程が大事なこと、親が発表を見たり一緒にやることもあることなどなど、実践家ならではの話を伺えた。
 事例の紹介で、参加した子どもたちの写真や動画を拝見した。過程があってこその表情なのだと想像でき、芸術の持っている力を再発見した3日目だった。

 全講座を通して韓国の今を少し知ることができたと思う。では日本のことはどうだろう。こうやって体系的に知る機会を得ないままここまできてしまったのではないか。ではどうやったら知れるのか。新たな問いを見つけ、少しでもいいから歩み始めようと思い立っている。

法に位置づけた文化芸術教育

平田 知之

 韓国の演劇教育には相当力が入っている、という噂はかねがね聞いておりました。

 私は、日本の初等・中等教育の教育課程に演劇がなぜ入らないのかを常々考えています。世間では演劇への無理解が蔓延っていて、演劇は不要不急なことの上位にランクされがちなわけですが、そもそも学校で共通教養の基盤としての演劇を学ぶ機会がほぼ無いわけですから、そうなるのも無理からぬことでありましょう。もちろん教育は学校だけで行われるわけではありませんが、社会教育にたどり着ける人は限られています。そんなわけで今回の韓国演劇教育の特集企画には大きな期待を寄せて参加しました。以下、学校教育との関連が述べられていた1 日目、2 日目を中心にレポートします。

 1 日目の閔鎭京(ミン・ジンキョン)さんの講義では、まず韓国の文化政策体制の進展が大統領の代ごとに時系列で整理されました。私の関心でいえば、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権で開始された文化芸術教育では、創造性がキーワードであったこと、法律(文化芸術教育支援法)に位置づけられたこと、日本で言う文化庁と文科省の緊密な連携で進められたことの3 点に注目しました。
 韓国の文化芸術教育支援は全世代型で身近なところで受けられることも特徴ですが、文化芸術教育調査(2020-2021)によれば、プログラム参加者は対象者全体の1 割強しかおらず、しかも演劇分野は0.4%。韓国の初中等教育では、小学校5・6 年の国語、高校の芸術科目(2018 ~)に演劇が位置づけられているそうですが、その重要性が印象づけられました。調査では効果測定が「個人心理(自己制御、表現、自尊感情、創造性、幸福感)」「対人関係力(コミュニケーション)」で行われていて、芸術が個人のコンピテンシー(注:職務や役割において高い成果につながる行動特性)を身につけるための手段に位置づけられているところは、やはり2010 年代以降の世界的潮流なんですね。文化素養と思考力を養うことと人間性を備えた創造的人材養成が目標。日本の学習指導要領でも、学力の要素として「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力・人間性」が掲げられていますが、「人間性」を誰がどう評価するのかは難題です。
 「学校芸術講師」「文化芸術教育士の資格」「学校長の協力義務」が法律に位置づけられていることは画期的ですが、学校芸術講師が短時間労働で一年間の有期雇用であること、文化芸術教育の資格(の基準)を国が定めているところは、もし日本で制度化するとしたら大きな課題になりそうですね。

 2 日目の劉恩禎(ユ・ウンジョン)さんの講義では、文化芸術教育士と学校芸術講師(ソウル文化財団ではTA)制度の運用について具体的な説明がありました。以下の4 点が特に参考になりました。
・文化芸術教育士課程が履修できる大学は8(うち演劇は4)あること
・小学校では「子供統合芸術教育事業」としてTA が派遣され、教科と絡んだ芸術教育を行うこと
・芸術教育事業は1 年を通した長期プログラムで、異分野のTA がチームを組んで、プログラムの開発に年度の前半を費やし、後半に授業をすること
・中学では「青少年人文教育」として創意的な学習の時間で小学校同様にTA チームが担当すること
・韓国文化芸術教育振興院では芸術講師だけでなく、学校文化芸術教育の変化を導くキーパーソンとなる教員(校長含む)を養成していること

 最後の方で芸術教育の現場でのTA のアイデンティティーの揺らぎについて言及がありました。私は教員の立場で芸術家と授業をつくってきましたが、ワークショップ中は教員としてのアイデンティティーを手放さなければならない局面も多く、反対側の立場から共感したことを付け加えておきたいと思います。

 3 日目の安鏞世(アン・ヨンセ)さんの多文化共生教育の講義について、1 点だけ触れたいと思います。韓国文化芸術教育振興院が定めた「文化多様性教育においてキーとなる12 の価値」の核となる「1. 尊重、3. 人権および平等、10. 共存、12. 社会的正義」の説明がありましたが、これはまさにすべての教育現場の基盤になる価値なのではないでしょうか。

 総じて新たに触れる情報が多く、大変刺激的な3 日間でした。芸術、演劇といっても、その守備範囲は多様です。実際に行われているプログラムやファシリテーション、大学のカリキュラムを現地で調べてみたいと思いました。私の関心事である、TA 派遣の具体的なことがら(チームと実際に派遣される芸術家の人数構成や授業時間数)などについても、後日具体的な回答を頂戴しまして感謝しています。

<韓国特集>

講師 閔鎭京(ミン・ジンキョン)
   劉恩禎(ユ・ウンジョン)
   劉恩禎(ユ・ウンジョン)
通訳 沈炫旼(シム・ヒョンミン)
通訳補 金恵玲(キム・ヘリョン)
実行委員 柏木俊彦 / 広田豹 / 松田文


オーストラリア特集

《 企画の趣旨 》

 200カ国を超える移民の住む多民族国家であるオーストラリアにおいて、演劇はどのように存在しているのか? どのように社会と関わってきたのか?

 今回は、スリランカ系の劇作家・演出家シャクティダラン氏が2019年に初演し、大きな話題を巻き起こした作品『カウンティング&クラッキング』を研修戯曲としました。

 社会的少数者であるアボリジナルの人々やアジア系の人々の演劇が、さまざまな差別の中でどのように考え、どのような工夫を行ってきたかを学び共有したいと考えました。

 格差やヘイトが拡がる現代の日本において、真に平等な民主主義の社会を生み出せるのか、そのために演劇ができる可能性を知ることに繋がると考えての企画です。

 オンラインでオーストラリアと日本を繋ぎ、レクチャーと質疑応答、戯曲リーディングを行いました。リーディングには公募による13名の俳優の皆さんの協力を得ました。

 翻訳・レクチャーはオーストラリア文化の研究者の佐和田敬司さん、通訳は長年海外との共同制作の場で活躍されている角田美知代さんとオーストラリアで演劇活動されている由良亜梨沙さんにお願いしました。翻訳の監修として原田容子さん、ネイティブチェック等でネリダ・ランドさんにご協力いただきました。

講 師:S.シャクティダラン/ S.Shakthidharan

西シドニー在住。映画・演劇の作家、演出家、プロデューサー、作曲家、演奏家。スリランカのタミルの後裔。コミュニティーアート・カンパニー、コー・キュリアス(Co-Curious)を設立し、2005年より恵まれない地域の移民や難民と「我々のストーリーもオーストラリアのストーリー」としてデジタルメディアで社会に発信する複数の芸術集団を生み、都市郊外や奥地での草の根的な社会変革を起こした。現在は、映画・演劇・音楽の制作「クリンジ(Kurinji)」の芸術監督、ベルボア劇場のアソシエイト・アーティスト。2019年にプロデューサー(イーモン・フラック)と共同演出を務めたデビュー戯曲『カウンティング&クラッキング』(ベルボア劇場とコー・キュリアスにより合同)は、6カ国から16人の俳優、3人のミュージシャンを迎えた3時間の大作である。シドニー・フェスティバルの公演は完売し、続いてアデレード・フェスティバルでも上演され、劇評で絶賛されてスリランカ人コミュニティーに多大なインパクトをもたらした。戯曲はヴィクトリア州文学賞(文学全部門中の最高評価)と、ニューサウスウェールズ州ニック・エンライト劇作家賞を受賞した。さらにこの公演はヘルプマン賞7部門(シャクティ自身に最優秀オーストラリア新作賞と最優秀演出賞を含む)を獲得した。大手製作会社とテレビ・シリーズを準備中。2022年春、ザーナ・フレイロンの小説『The Bone Sparrow』を翻案した作品を英国ツアー。最新作『The Jungle and the Sea』がベルボア劇場で上演された。

戯曲『カウンティング&クラッキング』について

 2019年にシドニー・フェスティバルで初演され、熱狂的話題を呼んだ3時間を超える大作。全3幕17場。16人の多国籍多言語の俳優と3人のミュージシャンによって上演された。2004年の西シドニーより始まり、1956年からのスリランカの物語と重なって進行する。2004年の西シドニー。21年前の1983年にスリランカからオーストラリアの母の元に移住した48歳のラーダと、オーストラリアで生まれたスリランカの言葉を話せない20歳の息子シダータとアボリジナルの恋人リリーの今が描かれる。そこに21年前に内戦で政府に殺されたとされたラーダの夫ティルーの生存が判明し、彼の今が加わることで、多民族国家のオーストラリアと内戦の続くスリランカの2つの国が抱えるさまざまな問題が浮上してくる。

《 時 代 背 景 》

・2004年のオーストラリアは、人口は約2020万人。2003年7月~04年6月の期間の移民の受け入れ数は11万1,590人。しかし、ハワード政権は保守的であり、アジアからの移民、難民への対応は厳しく、また先住民への謝罪も無かった。

・2004年のスリランカでは、1951年頃より少数派でヒンドゥー教徒のタミル人と、先住民で仏教徒の多数派のシンハラ人が対立を深め、1983年に内戦が勃発。2002年に停戦となるが、散発的なテロや政府要人暗殺など和平に進展は見られず。

《 日程と内容 》

【in 日本】新宿 芸能花伝舎スタジオ 

【in オーストラリア】西シドニー

9月16日(金)19:00~21:30
  ・シャクティダランによるレクチャーと質疑応答
9月17日(土)14:00~17:00
  ・『カウンティング&クラッキング』翻訳リーディング(前半)
9月18日(日)14:00~17:00
  ・『カウンティング&クラッキング』翻訳リーディング(後半)
  ・リーディング後シャクティダランによる質疑応答


1.企画の説明
  「社会を変える演劇」作品の魅力について  実行委員 和田喜夫
  『カウンティング&クラッキング』の「場所」と「物語」  佐和田敬司
  「アジア人移民の話に耳を傾け始め出した国民たち」  由良亜梨沙
  「若者の、若者による、若者のための演劇」      ネリダ・ランド

2.セミナーの記録 (司会・進行 菅田華絵)

< 1日目 >

  ➤ これまでのオーストラリア特集  実行委員 菅田華絵・和田喜夫

  ➤ 佐和田敬司によるレクチャー
   オーストラリア演劇における『カウンティング&クラッキング』

  ➤ シャクティダランによるレクチャー

  ➤ シャクティダランによる質疑応答

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PDF容量 2.3MB

< 2日目 >

  ➤ 『カウンティング&クラッキング』リーディング

  ➤ 『カウンティング&クラッキング』参考資料 実行委員 公家義徳

  ➤ 『カウンティング&クラッキング』上演における工夫について 佐和田敬司

  ➤ あらすじ・登場人物  実行委員 森田あや・和田喜夫

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PDF容量 2.4MB

< 3日目 >

  ➤ リーディング出演者の感想

  ☆シャクティダランによる質疑応答

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PDF容量 1.3MB

3.附録

  ○リーディング出演者のリポート  
    ・木村美月
    ・橋詰高志

  ○戯曲『カウンティング&クラッキング』1幕1場・2場掲載

PDF容量 1.3MB

  ○英文によるシャクティダランのレクチャー  採録 ネリダ・ランド

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PDF容量 1.4MB

「社会を変える演劇」—— 本当の民主主義を求めて ——

 オーストラリア特集として劇作家シャクティダランさんの『カウンティング&クラッキング』を選んだ切っ掛けは、2021 年の3 月に名古屋出入国在留管理局でスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが亡くなられた

同時期に、この戯曲の存在を知ったことでした。

 シャクティダランさんがスリランカの血を引く劇作家であること、移民・難民の問題や、民主主義、ジャーナリズムの使命を描き、その認識を問う戯曲であると知り、ぜひ国際演劇交流セミナーでの研修戯曲としたいと思いました。国際部の会議で賛同を得て、この戯曲を紹介して下さった佐和田敬司さんにシャクティさんに打診してもらい快諾を得ました。

 『カウンティング&クラッキング』は、2019 年のオーストラリアのシドニー演劇祭、アデレード演劇祭で実に大きな話題となった作品です。その理由については、佐和田さんと由良亜梨沙さんが細かく記述されていますが、私が感じたことをいくつか記したいと思います。演劇の根源につながる、というだけでなく人類の根源につながる、考え合う演劇のための創意工夫に関しての感想です。

 戯曲の魅力としてまず強く感じたことは、台詞が決して作家1 人の頭の中で考えられたものではないことです。2003 年にコミュニティーアート・センター、コー・キュリアス(Co-Curious)を立ち上げてのデジタルメディアによる活動があります。そこで社会的少数者としての移民、難民、先住民のサポートのための作品を創り、大文字で書かれる歴史では記述されない、小文字でしか描かれない人間の現実の声や姿を社会に堂々と発信し続けたことが素晴らしい劇作に繋がっていると思います。

 この戯曲を書き上げるために10 年の歳月をかけられたこと、キャスティングに4年の月日をかけられたことに驚きました。創作のためのインタビューや調査などの作業を誠実に継続された意志に敬意を表します。社会の変化を目標に、採算性・効率性を度外視し、映像作品と並行して草の根活動的に発信を続けることで、非白人系の社会的少数者のコミュニティーを勇気づけるという当初の願いを実現しています。演劇の可能性への根源的で誠実な挑戦です。全ての工夫に感動を覚えます。

 結果として、〈戯曲〉と〈上演方法〉とが見事に結びつき、観客とともに生み出す演劇、観客の想像力を最大限に尊重した演劇が生まれています。採算性・効率性を度外視と書きましたが、創作にかけた時間はもとより、6 カ国16 人の俳優と3 人の演奏家と9人のスタッフの上演規模、役の大小関係なく全員がチームとして道具の転換作業などで働く姿勢にも言えることです。

 演劇表現の魅力としては、異なる場所、時間の出来事が同時に演じられる形式が選ばれ、〈境界を無くす〉開放的な上演方法であること、観客との関係が近代劇の「第4 の壁」から覗き見るという形式を超えた親密で自由度の高い演出が挙げられます。今回のレクチャーでのシャクティさんの発言に、ストーリーテリングを重視するアボリジナルの演劇から多くを学んだとありました。それ故に、芸術的気取りとは無縁の、神話や暮らしと繋がる親密な表現が明確にあります。

 さらに、この戯曲に現れる女性の描き方もこの劇の大きな特質であり、魅力です。シャクティさんには「永遠に女性的なるもの、我らを引きて昇らしむ」という思いがあると感じます。残念ながら、日本ではいまだに女性の社会活動を描いた戯曲が少なく、これは世界的課題ですが、女性の対話が描かれた戯曲が少ない理由は、私たちの深刻で切実な大きな課題です。

 『カウンティング&クラッキング』には普遍性があります。誕生と出会いと死と神話によって誰もがルーツを考え、現代の民主主義を問う作品だからです。今、世界中で民主主義が危機的状況にあり、改竄や偽証が見過ごされ、物質的繁栄やサクセスストーリーがもてはやされ、静かに暴力や権力が蔓延り、政治的言語が支配的になり、民主主義の基本が見失われています。この作品はジャーナリズムの使命を描いていますが、それは 演劇の使命とつながっています。

 この文章を書いている2022 年11 月、「国連が日本の入国管理施設の対応改善を要求したが、日本の説明は曖昧であり、遺憾」というニュースが流れました。難民支援のNPO 法人WELgee の報告によれば、日本の難民認定率は1%以下のようです。「共生社会」が大きな指標とされ、日本の在留外国人数は2022 年では290 万と報告されていますが、民族に関しての差別意識・分断が確実にあります。私たち自身の意識の変革が必要な時だと思います。

 オーストラリアは多民族国家で常にアイデンティティーの問題が議論されています。日本は未だに単一民族の国と言う政治家がいます。アイヌ、沖縄、在日の歴史を考えれば差別的・暴力的な発言です。「国民国家」という国民の同質性を前提として、社会的少数者に対して抑圧的、排他的な現実があります。さらに「国民国家」の実体を失い、何も共有していない1 億の人間の住む怖い国になりつつあります。演劇は、共有について再考の時だと感じます。

 FIFA ワールドカップのカタールのスタジアムや周辺の設備工事での過酷な労働で、6500 人を超える貧しい国からの移住労働者の死、賃金の未支払い、が問題となりました。スリランカからの労働者も含まれています。派手で大掛かりなスタジアムや高層ビルが世界中に造られていますが、その基礎工事で働く人の仕事や生活は殆ど知られていません。日本でも高度成長以来、勝ち組賛美や派手で便利で快適な現象に目を奪われ、人間の切り捨てが増え、見て見ぬ振りの状況が増え続けています。

 「あらゆる文明は精神的に生まれ、物質的に栄え、そして滅びる」という言葉がありますが、『カウンティング&クラッキング』は人間の想像力と創造力と協調力を信じることによって、精神的に豊かな演劇を生み出しています。「誰ひとり置き去りにしない」平等な、民族を超えた民主主義の世界を、「観客を置き去りにしない」演劇によって創 造しています。コロナ禍の続く今、この作品は多くの問いかけと解答を提示してくれていると思います。

企画担当 和田喜夫

Production Images by Brett Boardman, courtesy of Belvoir Theatre

『カウンティング&クラッキング』の
 「場所」と「物語」

佐和田 敬司(コーディネーター)

 『カウンティング&クラッキング』は、オーストラリアとスリランカを行き来しながら、3 世代の人々の生き様を描く壮大な物語である。たくさんの登場人物のうち、オーストラリアで生まれたか、オーストラリアの地に降り立った人物が4 人、この物語の根幹に居ることに気がつく。

 半世紀間の出来事が交錯する物語において、「現在」は、2004 年だ。主人公のシダータは、2004 年において20 歳の大学生で、シドニー名物の美しいビーチが広がる若者文化のメッカ、クージー・ビーチ(Coogee Beach)に暮らす、スリランカ系オーストラリア人である。しかしシダータはスリランカに行ったことがなく、英語しか喋れない。

クージービーチ  写真提供:Destination NSW

  多文化社会オーストラリアには、スリランカ系に限らず様々な民族的バックグラウンドを持った人、また移民1 世だけではなく、シダータのような2 世で、故国との繋がりが見えなくなっている人たちも大勢居る。オーストラリアの観客はシダータに自分を投影しながら、多文化社会に身を置きながら自らのルーツを発見していく、普遍的な物語を見ることになる。

 もう1 人の主人公がシダータの母親ラーダだ。1956 年に、ラーダはスリランカのコロンボで生まれた。祖父母の元で成長し、1977 年に幼なじみのティルーと結婚した。1983 年にスリランカの内戦が起き、危険から逃れるためにシダータをお腹に宿したまま、人道ビザでオーストラリアにやってきた。2004 年には、シドニーの郊外ペンドル・ヒル(Pendle Hill)に暮らしている。

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ペンドル・ヒル

 ペンドル・ヒルはスリランカ生まれの人口が最も多い地域として知られ、スリランカ料理店が軒を連ねる。ペンドル・ヒルの住民のような、オーストラリア社会で暮らしているスリランカ移民の人々が、どのような人生を背負いながらこの国へやってきたのか?この作品を見たオーストラリア人は、これまで考えたこともなかったその問いを、立ち止まって反芻するようになる。

 3 人目の主要な登場人物は、シダータの父、ラーダの夫であるティルーだ。1983 年の内戦で行方不明になり、2004 年に獄から解放され、妻と子供に再会するため、難民としてオーストラリアにやってくる。物語の中盤の山場に、ティルーが「インドネシアから密航船に乗り込む」と、シダータに電話をするシーンがある。シダータは、「その船に乗って人がたくさん死んでいる」と、必死でティルーを止めようとする。また物語の最後にシダータとラーダは、ヴィラウッド難民収容所(Villawood Detention Centre)で、危険を冒しオーストラリアへ辿り着いたティルーと、ついに再会を果たす。

 これらエピソードは、ボートピープルの問題を、観る者に想起させる。オーストラリアは、1970 年代のベトナム戦争終結時に人道上の理由で多くのボートピープルを受け入れた。その後、今日までオーストラリアは毎年2 万人前後の難民を受け入れてきたが、ボートピープルの数は90 年代後半から数を増し、今世紀に入ってからはスリランカ難民を初めとして、多数のボートピープルが近海に到来するようになった。

 粗末な密航船に乗せられ、領海で次々沈没し多くの人々が死んでいく様は、国民に大きな衝撃を与え、彼らを受け入れるべきか否かは国の最大の政治的争点となった。国内だけでなく近隣の国々にも作らせた難民収容所では、劣悪な環境から自殺や暴動が横行し、国際的な非難を浴びた。

 ティルーは、この20 年にわたって国を揺るがし続けてきたボートピープルを体現している。ニュースで、亡くなった人の数だけが知られる存在だったボートピープルが、舞台上で顔や体、そして「物語」を伴って、観客の前に立つのである。

 そして4 人目であるリリーは、アボリジナルの女性で、同じ大学に通うシダータと出会い恋人同士になる。オーストラリア大陸最北のアーネムランド(Arnhem Land)のイルカラの出身で、代表的先住民言語ヨルング語を喋る先住民だ。ヨルングは伝統文化に裏付けられた数々のアートや音楽を生み出して、国内や世界でよく知られている。

 今日、オーストラリアの憲法においてこの国の根幹としての先住民の存在をどのように定義するのか、国全体で議論が行われている。オーストラリア大陸を5 万年以上に渡って守り続けてきたアボリジナルの人々は、18 世紀の英国人植民者から21 世紀のスリランカ難民まで、時代ごとに新たにこの国にやってくる人々を見守り続けてきた存在でもあるのだ。

 『カウンティング&クラッキング』が興味深いのは、これら4 人の登場人物がそれぞれ体現する場所の位置関係が、象徴的な意味を持つからである。

 リリーの故郷アーネムランドは先住民の文化の源泉であるが、一方先住民の存在感はいまや、憲法についての国民的議論と相まって、国の隅々にまで行き渡っている。例えれば、アーネムランドから発せられる黒・黄・赤のアボリジナル・フラッグの色が、大陸のすべての場所を色づけしているイメージかも知れない。

 そして主人公シダータが暮らすクージー・ビーチから、彼の母親ラーダが暮らすペンドル・ヒルまでは、40 キロ強の距離がある。しかしシダータの父ティルーが難民申請者として収容されているヴィラウッド難民収容所も、やはりシダータの住むクージー・ビーチから、40 キロ弱の距離にあるのだ。

 この作品は、クージー・ビーチとペンドル・ヒルとヴィラウッドとアーネムランドという、すぐそばにありつつ距離のあった4 つの場所が、ラストシーンの家族の抱擁によって1 つに繋がる物語だ。

 この国に暮らす人々が、いくら互いに無関心でいようとしても、それぞれに意味を持った場所が、近づき、ついには繋がる。そのとき、無関心によって妨げられていた様々な気づきが、物語によって呼び起こされていく。

 演劇が、物語が、果たす役割はまだ限りなくあるということを、この作品は教えてくれるのである。

コーディネーター:佐和田 敬司

翻訳家(第10 回湯浅芳子賞受賞)、早稲田大学教授。
著訳書に『オーストラリア先住民とパフォーマンス』(東京大学出版会)、『現代演劇と文化の混 淆』(早稲田大学出版部)。「オーストラリア演劇叢書」①~⑮(オセアニア出版社)。
舞台翻訳に『ミス・タナカ』(江戸糸あやつり人形・結城座)、『エブリマンとポールダンサーたち』(新宿梁山泊)、『ジャック・チャールズ vs 王冠』(ふじのくに⇄せかい演劇祭)、『ジャスパー・ジョーンズ』(名取事務所)、『フューリアス~猛り狂う風~』『女と男とシェイクスピア』『面と向かって』(俳優座)、『聖なる日』『リムーバリスト―引っ越し屋―』(俳小)、『ヤスキチ・ムラカミ』(早稲田大学)。

「アジア人移民の話に耳を傾け始め出した国民達」

由良 亜梨沙(通訳)

 それは歴史的な瞬間だった。2019 年1 月、S. シャクティダラン作『カウンティング&クラッキング』は初日を前に完売し、観客は熱狂し、満員御礼となった。

“Counting & Cracking” 写真提供:Geraint Lewis

 これまでアジア人移民の戯曲がなかった訳ではないが、これほど移民達の生き方と心境を繊細に描いた戯曲はない。オーストラリア国民にアジア人移民の声に耳を傾けさせることに成功したのだ。

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 『カウンティング&クラッキング』は世界的にもメジャーな大演劇祭、シドニー・フェスティバルの一環として、植民地時代から由緒ある歴史的建物シドニータウンホール(写真右)で上演された。そこは人々が市民権を取得する場所でもある。

 共同制作したのはシドニーでもトップ3 に入る劇場/劇団のベルボアだった。私たちはベルボアをメインステージオーストラリア特集と呼んでいるが他の小さな劇場はインデペンデントシアターと呼ぶ。このようなメインステージで取り上げられると観に来る観客も多く、尚、メディアにも掲載される。評論家もたくさん来て話題性も呼ぶ。『カウンティング&クラッキング』は何年もの努力を積み上げこの晴れ舞台に立つことができたのだ。

 マイノリティーであるアジア人移民達の話は長い間メインステージから見過ごされていた。オーストラリアの演劇界はシェイクスピアやチェーホフ、アーサー・ミラーやオーストラリアのデイビッド・ウィリアムソンなど白人達による古典的な劇で染まっていたのだ。別にこのような戯曲が悪いと言っている訳ではない。しかし演劇がオーストラリアの現実を正確に反映したいのであれば多様性が必要である。この多様性という言葉はこの5年間オーストラリア国内にだけでは治らず世界的に演劇界で多く談義されている。あまりにも長く多様性に欠けていたからである。この談義の中で上演された『カウンティング&クラッキング』はその転換点となり変化を起こさせたのだ。

 『カウンティング&クラッキング』は6 カ国から集めた合わせて11 の言語を話す16人の役者が出演するマルチリンガル劇である。上演以来たくさんの南アジア系のアーティスト達が増え、それぞれの物語を語っている。しかも南アジアだけではなくその他のアジア人移民も含め、全体的にストーリーテラーが増えた。

 かくいう私も10 年近くかけて書いたバイリンガル劇一人芝居『CONFESSIONS OF A CUSTARD MELON PAN』を2019 年の9 月に上演した。2010 年日本に帰国した時に経験した逆カルチャーショックがきっかけで書いたのだ。両親と一緒にオーストラリアに移住した10 歳だった自分は1 世である両親やここで生まれた2 世とは違いその間の1.5 世である。1.5 世とはアメリカの社会学者ルービンランバウト氏の造語だ。2 文化のギャップにはまり込んでいる1.5 世の独特で複雑な経験をユーモアたっぷりに描いた。

 この芝居も含め、役者としての機会も沢山増えた。アジア人だけではなく今まであまりなかったアジア系オーストラリア人の役だ。今年は今まで以上(合計で12 本)アジア系オーストラリア人の戯曲が育てられ、製作、上演された。

 その中の1 つが中国系オーストラリア人の劇作家ミシェル・ロー作の『トップコート』である。ネイルサロンで働く中国系オーストラリア人がテレビ局で働く白人のエグゼキュティブと体が入れ替わってしまうコメディーである。私はこの戯曲に描かれている日系オーストラリア人2 役を演じた。オーストラリア名門劇団、シドニーシアターカンパニーのメインステージで自分のアイデンティティーを演じられるのは稀だ。それも2 役。今まで日本人の役はあったとしても日系オーストラリア人を見ることは滅多になかった。しかもそれぞれ現代的でリアルな役柄だ。

 日系オーストラリア人として、私たちのコミュニティーの物語をより多く知りたい。その変化の一部分になれるようこれからも奮闘したい。

 私はこの変化が大きな変化な始まりだと確信している。移民達の話を知ることが通常になるということ。何故ならばそれは現実であるから。私たちは多文化多民族だ。多様だ。それこそオーストラリアである。

 『カウンティング&クラッキング』は国民に理解させたのである。これはアジア人移民の物語だけではなくオーストラリアの物語だということを。これからも沢山あろうであるオーストラリアの物語の1 つだということを。

*リファレンス
バイリンガル劇一人芝居
『CONFESSIONS OF A CUSTARD MELON PAN』
https://www.arisayura.com/confessions-of-a-custard-melon-pan

ミシェル・ロー作の『トップコート』演出:コートニー・スチュアート
https://www.sydneytheatre.com.au/whats-on/productions/2022/top-coat

通訳:由良 亜梨沙

俳優/アーティスト
10 歳の時、家族とオーストラリアに移住、バイリンガルとして育つ。 映画製作を勉強中、自身が学生映画に出演し演劇に目覚める。
オーストラリア、日本、カナダ、アメリカで舞台、テレビ、映画など幅広く活躍。
2019 年には自伝記一人芝居、『Confessions of a Custard Melon Pan』(日本語名『カスタードメロンパンの告白』) バイリンガル劇を上演、シドニーフリンジフェスティバル2 賞にノミネートされる。2022 年にはミシェル・ロー作『トップコート』でシドニーシアターカンパニー劇団のデビューを果たす。
最近は演出家、ライター、プロデューサーとしても活動幅を広げ、Nikkei Australia のメンバーとしてコミュニティー活動にも力を入れている。

若者の、若者による、若者のための演劇:
オーストラリア演劇の民主化

Nerida Rand( ネリダ・ランド)

 オーストラリアで育ち、幼い頃から舞台芸術に触れる機会に恵まれていた。演じる機会も学ぶ機会も、実に豊富だった。

  小学校では、シアター・イン・エデュケーションの専門家と一緒にテクストを分析し、小学生なりに『コーカサスの白墨の輪』を上演。世界史の授業の一環として、なんと『高砂』も上演。そう、12 歳でブレヒトと世阿弥に挑戦した。

 高校では、さらにメニューが増えた。多くの高校では、年に1 度の大行事としてミュージカルを上演する。学校のクラブ活動とは異なり、オーディションを受けてどんな生徒でも参加することが出来る。歌えない私にも衣裳が与えられ、観客の前に立つチャンスが与えられ、舞台で演じる喜びを学ぶことができた。

 週末は大学の公開授業や劇団主催の演劇ワークショップに通い、夏休みはYMCA のドラマキャンプに参加した。戯曲を学校のカリキュラムの中の文学として勉強でき、シェイクスピアやオーストラリア古典の上演を数多く観る機会が与えられた。貸し切りの劇場で生の舞台を味わえて、時には、サマーキャンプでお世話になった先輩や、学校を訪れた俳優さんが舞台に立っていて、演劇が身近に感じられるようになった。

 こんな風に私も青春時代を黄金時代として振り返るのだが、最近になってその時代に不足していたものを強く感じている。教育自体は素晴らしく、古典を上演したり、プロの演劇公演を観てはいたが、自分の声を与えられ、自分の物語を語ることはなかった。

 今のオーストラリアでの《コミュニティー演劇》の普及を見ると、若者が演劇人になる機会がさらに増えているように感じる。彼らが語る物語は彼ら自身の物語であり、それにより演劇は彼らにとってより身近なもの、より価値があるようになるだろう。

 コミュニティー演劇は、特定のコミュニティーに関連して行われるあらゆる演劇のことで、「コミュニティーの、コミュニティーによる、コミュニティーのために作られる演劇」とも言える。 オーストラリアでは、女性、移民、難民、先住民、障がい者、LGBTQ+ などのコミュニティーが演劇を通してアイデンティティーを表現しようとするなか、若者も1 つの演劇コミュニティーとして認められている。

 芸術への資金援助が縮小しているにもかかわらず、若者との共同制作や若者のための作品制作に特化した新しいカンパニーや芸術祭が着実に増加していて、若者を共同制作者、参加者、観客として迎え入れる革新的なスタンスが注目されている。老舗のカンパニーでも、新しいパートナーシップを育み、必然的に変化する若者の多様な人生経験に応えるために戦略的に取り組んでいる。

 その一例として、1963年に設立されたAustralian Theatre for Young People( ATYP)は、2011 年に「Voices Project」を立ち上げた。毎年、20 人の若手作家が選ばれ、若手俳優のために7分間のモノローグを執筆する。

 このプロジェクトは、既に120 人の若手劇作家の育成を支援し、6 冊のモノローグ集を出版、10 本の短編映画を制作した。モノローグはオーストラリアの全州・地域の学校、ユースシアターなどで上演されている。

 また、1976 設立のShopfront Theatre は国内外のツアー、大規模なサイトスペシフィック作品の作成、音楽、映画、演劇、などの作成を含む豊かな歴史を持ち、NSW 地方政府文化賞を2 度受賞した。若者の演劇は、主流の演劇と同じ芸術的品質を示す。

 Shopfront が2009 年に来日し横浜のニブロールカンパニーと新作を制作した際、私の紹介で3人の教え子が横浜とシドニーの公演にも出演した。「芸術へのアクセスに恵まれない若者」の紹介を頼まれたが、日本のどの若者も芸術に触れる機会に” 恵まれる“ことはまだないと気づいた。

 演劇は学校のカリキュラムの中でより確かな位置を占めるようになり、劇団や劇場は、若者のためにワークショップやパフォーマンスを制作するだけでなく、教師にカリキュラム資料も提供する教育プロバイダーとして、ますます積極的になってきている。

 演技のトレーニングを提供する素晴らしい養成所などの団体も増えた。嬉しくて、少し羨ましい。しかし、若者向けの演劇の民主化の印であるのはやはりコミュニティー演劇の主流化だろう。

Nerida Rand( ネリダ・ランド)

オーストラリアのタスマニア生まれ。4 歳の時に教会のクリスマス・ページェントで初舞台。学ではアジア言語を専攻、1997 年から日本在住。奈良橋陽子主宰UPS アカデミーの9 期生。『テルマエ・ロマエ2』やNHK の『蝶々さん』などに出演し、現在、大学生に演劇と英語を教える傍ら、「俳優目線の翻訳」にこだわる翻訳家、ドラマターグとして活躍中。パフォーマンスや指導はシェイクスピアと即興に焦点をあて、ナラティブ・インプロビゼーション(即興で作る長編演劇)と演出のツールとしての即興手法が専門。

参加者寄稿文

ルーツを辿る幸福を味わう

木村 美月

 どうして「自分のルーツを辿りたい」という思いが私たちには芽生えるのか。

 オーディションを経てこの作品に関わった数ヶ月ほど、稽古に取り組んだのはもう少し短い時間でしたが、作品を流れる異国の空気が、徐々に自分の体に取り込まれていくような気がしました。

 この「他者の物語」が、「自分の物語」をも感じさせてくれる、または自分の物語のように認識させられる不思議な感覚に陥ります。それはまさに身体を通して行われる「演劇的」な体験でした。

 先日祖母に、自分の曽祖父母や高祖父母について初めて聞きました。伝統のある家系というわけでもないので、聞くほどのこともないだろうと思っていましたが、ふと思い立ったのは『カウンティング&クラッキング』のおかげかもしれません。

 高祖父は外国船の船長、元は農家で、三重県の有名な材木屋の娘だった高祖母と神戸に駆け落ちをして、船で働くようになったのだとか。まったく知らない事実でしたが、なるほど、自分の中にも駆け落ちするような情熱が眠っていないとも限らない、などと可笑しい気持ちになりました。話を聞いて、自分の何かが満たされてゆくのを感じました。

 この作品の中で主人公のひとり、シダータが辿ったのは、自分の身と今まで切り離されてきた、自身のルーツの物語でした。シダータが味わったのと同じように私もまた、まったく知らない世界の、現在まで脈々と続くオーストラリアとスリランカ、他の登場人物たちが抱えた複雑な物語に触れました。

 「物語というのは、人生の復習であり、また予習でもある。だから人は物語に欲望させられるのだ」という話を聞いたことがありますが、まさにその欲望に寄り添った本作は、メタ的に、稽古場での毎日に影響してきました。

 たとえば、稽古場で登場人物のシダータやリリーの話をしていると、「私はね、」と今一緒に稽古しているキャストが自分のルーツを語ります。私は初めてご一緒する方ばかりでした。そうすると、「ああ、こういう劇団に所属されていたんだな」とか「この方はどうしてこんなに英語がペラペラなんだろう」と、一緒にクリエイションしているからこそ気付くことがあり、お互いを知りたくなります。

 当たり前ですが台詞の感想ひとつとっても、みんな違うわけです。それはときに衝突を起こしましたし、意見の言い合いが激しくなることや、逆に思ったよりもスムーズに進む瞬間もありました。とにかく、それぞれが今までやって来たことを背負ってそこに立っている。

 だから、登場人物の多いこの作品の2幕2場においても、違うルーツを持った人間が話し、結婚パーティの準備をし、意見をし、戦い、それによってその日、ラーダは自らの幸せを勝ち取ったわけですが、そのことが行われるのが当たり前に面白く感じられたわけでした。

 この物語から感じたのは、ルーツへの愛です。自分の存在を肯定する、自分が生まれてきた全過程を愛する、そんな讃歌のような物語だと感じました。まったくバラバラに集まった人々がクリエイションの場、稽古場を愛せるようになるのは、他者が辿ってきた演劇のルーツを知り、愛することだとも思いました。

 また、それだけでなく、シャクティダランさんのチャーミングなお人柄が、作中のユーモアや主人公たちのとっつきやすさ、肯定的なラストシーンに繋がったのだと感じ、この物語に私は親しみを持ちます。見たことや聞いたことのない食べ物の呼称、土地の名前、習慣、バラエティ豊かな文化の香りが、色鮮やかに散りばめられていて、神秘的で美しいです。

 作家が作品に注いだ全てに、言葉を超えた魅力を感じるのです。人間の愚かなところ、美しいところ、全部抱き合わせたこの作品から得られる覚悟の雰囲気に、もっと知りたい、もっと感じたい、もっと考えたいと思わされるのでした。

 より生きる。生への実感を強く持ちつつ生きることを肯定されたように思います。この経験には感謝したいです。

参加者寄稿文

演劇をする意味

橋詰 高志

 「国際演劇交流セミナー2022 オーストラリア特集」に参加させていただきました。
 まず初めに言わせて下さい。
 こんなに素敵な作品に出合ったのは初めてです。
 最初にカウンティング&クラッキングの台本を読んだ時、恥ずかしい話ですがスリランカやオーストラリアの文化や歴史に関しての知識はゼロに等しい状態でした。
 ですが、読み進めていくうちに物語の世界にどんどん夢中になっていきました。
 時代背景、役の目的、関係性、葛藤などが色濃く描かれていたからではないかと思います。
 感情の発露が違うだけで国や時代が違ってもそこは同じ、だから演劇は世界共通で感動するのだと思います。

 翻訳劇を演じるにあたっていくつかの壁がありました。
 ・文化的差異
 ・社会構造(カースト制度含む)
 ・言語の壁 作中、次の言語が用いられている「タミル語」「シンハラ語」「英語」

 理解できないセリフや状況、リーディング形式で発表するにあたっての見せ方などを参加者全員で稽古初日から積極的に意見を出し合いました。
 初日からみんなが積極的に意見を言い合えたのは、実技オーディンションでのことが大きいと思います。
 実技オーディションではセリフを読むことよりも意見を出し合う時間を大事にされていました。

【哲学対話】という独自の手が使われておりました。
  発言する権利、発言しない権利があり
  そして他者の意見を否定しない
  というルールの基でのディスカッション
 このことにより、とても有意義な稽古期間を過ごすことができました。

 ここからはとても私的な話をさせていただきます。
 作者のシャクティダランさんが演劇には人を『癒す』ことができると仰っていました。

 私はこの言葉にとても感銘を受けました。
 演劇をする意味はなんなのか? そのことについて考えを巡らせることがあるのですが、いつも答えは見つかりませんでした。
 一般的には希望・勇気・感動・新しい価値観などを与えるものとされていると聞いた
ことがありますがどれもしっくりきません。
 ですがシャクティダランさんが仰った、演劇は人を『癒す』ことができるという言葉
にはとてもしっくりきました。

 私が演劇を始めたきっかけがまさにそれでした。
 中学生の時、強迫性障害という病気を患いました。
 病気の影響で行動範囲がどんどん狭くなっていき、末期には家の中でテレビを見ることしかできない状態になっていました。
 起きている時間が辛いためか寝ている時間が増えていき、次第に昼夜逆転していきました。
 深夜のテレビは特に面白い番組はやっていなくて、唯一興味を惹いたのはアニメでした。
 アニメを見ている時間は幸せでした。その時だけが病気のことを忘れて純粋に楽しむことができたからです。
 アニメを見るようになってから不思議と前を向く時間が増えていき、その結果病気と闘うことができるようになりました。
 なぜ前を向くことができたのか? それは癒されたからだと思っています。
 疲れ切っている心では前を向くことは難しいものです。でも少しでも癒されれば前を向けるようになります。
 そして、病気に立ち向かうきっかけを与えてくれたアニメに携わりたくて演技の勉強を始めました。

 現時点での私が思う演劇を見ることで得られる癒し
 ・自身の考えや存在を肯定してもらえる
 ・笑う、泣く、怒る、喜ぶ、哀しむ、といった感情や感覚を味わえる
  (普段抑えていたり忘れていたりする)
 ・普段の思考から離れることができる
 まだ上手く言語化できてはいないのですが、これが私の思う演劇をする意味です。

 10日間と短い期間でしたが多くのことを得られた貴重な時間でした。
 カウンティング&クラッキングが日本で舞台化されることを切に願っております。
 ありがとうございました。

<オーストラリア特集>
講師:S.シャクティダラン
翻訳・コーディネーター:佐和田敬司
通訳:角田美知代・由良亜梨沙
監修:原田容子  協力:ネリダ・ランド
実行委員:和田喜夫・菅田華絵・公家義徳・森田あや
実行委員補佐:秋葉舞滝子・柏木俊彦

文化庁委託事業 「 令和4年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業 」


2023 年3 月31 日発行
発行人  佐 川 大 輔
編 集  一般社団法人日本演出者協会 国際部
     柏木俊彦 菅田華絵 前田有貴 和田喜夫 
     国際演劇交流セミナー2022 冊子編纂実行委員会
発 行  一般社団法人日本演出者協会 国際部
     〒 160-0023 東京都新宿区西新宿 6 -12 - 3 0 芸能花伝舎 3 F
《掲載されている文章、写真、資料の無断転載を禁じます》


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