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特別鼎談:長塚圭史×落合陽一×シライケイタ「社会と芸術」

特別鼎談:長塚圭史×落合陽一×シライケイタ社会と芸術

コロナで問われる事となった芸術が社会にどのような役割を果たしているのか?まずはこの当たりから皆さんのご意見を伺いたいと思うのですが、いかがでしょうか?

落合
文化審議会議のメンバ-として、文化芸術推進基本計画第二期を策定中に、デジタルが足りない事を伝えました。審議をする立場ではあるのですが、言える事としては「 社会と芸術 」と言う事について、政府の側はよく見ているという事ですね。
僕は、基本的に作品を作っていますし、大学で教員をしています。よく作品をギャラリー的に販売するという事はしますが、作品をプロダクトに変える興行を殆どしないので、アートビジネスとしてはそんなに大規模ではないと思います。もちろん自分のスタートアップは市販品を販売しています。
さまざまな立ち位置があって、大学では講義も入れれば1000人ぐらいの学生さんを教えていますがゼミは数十人程度。アートをやってるゼミは筑波でなくてデジタルハリウッド大でやっているので数人程度。それでも全体感で見た時に私はアートの文脈も文化活動も好きなので、アート以外に人類がやる事は特に無いんじゃないか?と思っているんですけれど。

シライ 
どうです?長塚さんはスーパーパブリックですよね?

長塚 
まあ、そうですけど・・・。実は、一昨日まで下北沢で盆踊りやってて( 笑 )

落合 
プライベートで?

長塚 
プライベートというか、劇団でこじんまりと始めた事が、いつの間にか下北沢と一緒に連携することになって・・・。実は、3年間も下北沢には盆踊りがなかったんですよ。

落合 
あ、半パブリックがパブリックになったって事ですよね?すごく面白い。

長塚 
面白いですよね。「 本多スタジオ 」って言う1982年に建てられた建物が下北沢の開発で潰れちゃうっていう事なんですけれど、工事の時期が決まらないからスタジオも行き場所を失っちゃっていて空いてたんですよ。それだったらと一か月ぐらい借りて、そこで劇団員と何かをやって、お客さんと繋がれるぐらいでいいかなと思っていたら、さまざまなアイディアが集まる中、盆踊りやろうって言い出した人がいて。
盆踊りって演劇でどうやってやるんだ?と言ったんだけど、本多劇場グループさんが「 じゃあちょっと広場を借りましょうか? 」って言って、昭和信用金庫さんの駐車場を借りる事になったんですよ。そしたら行政との調整が始まって。最終的には世田谷区が後援になるような形で商店街が中心になって「 秋の下北沢盆踊り大会 」となりました。
劇団レベルで始まったことが、終わってみれば地域の方とじゃあ今後はどうするのか?って話になってる。僕が思ったのは、求める人の所に伸びていく物の方が、めちゃくちゃ面白い出来事が起きたっていう実感があるなって。
後、公共劇場としては、観劇人口なんて少ないですし、劇場自体知らない人も多いんだから、劇場が町にある事の良さをどう伝えていくかって思考をしていて、より多くの人が気軽に入って来られるようにしたいんだけど、どうもチケット代が高すぎて観に来られないという矛盾を抱えていて。
落合さんどうですか?演劇ってご覧になられてます?

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落合 
今は全然見に行かないですけど。
万有引力の公演を友達が好きだったので、昔はたまに見に行ったりしていましたね。あー、こんなものがあるのかって感動しました。大人になってからは能や歌舞伎に呼ばれたりとかはあります。ただ、小劇場に呼ばれる事は少ないので、あまり出入りしないのが現状です。もちろん友達の公演には行くのですけども。

長塚 
近年のデジタル化というか、コンピューターの世界がこれだけ進んでいる中で、劇場とか演劇の必要性を、落合さんはどうご覧になっているんですか?

落合 
僕も、劇場でのパフォーマンスはするんです。近頃は音楽や映像をリアルタイムで生成したりパフォーマーとして表現して発表するって事は月一ぐらいでしています。ただ、演劇的要素、僕の頭の中はどっちかっていうと映像的に出来ているので、視点だったり決められた尺で何かを切ったり、例えば暗い中からそのビジュアルが上がってきて、音が入って来て観客の視覚、聴覚、身体の感覚的体験として作り込むっていう事についてのイメージはしやすいタイプの人間なんですが、ここで人が出てきてこうやって演じたらこの人たちはどういう気持ちになる?みたいな事には全く頭が働かないので・・・。人と人との交流をデザインしたり演出したりとかして行く所に、僕は演劇の妙があると思っていて、演劇にしか出来ない事だと思っています。私はそういった人と人の間にデジタルを介在させること自体は大学研究では頻繁にやるものの、あまり劇場ではやっていないのが現状です。

シライ 
演劇ってそもそもお客さんの数が凄く少ないんだけど、社会の役割に沿って言うとお客さんって多い方がいいと思うんです。どのように客を獲得していくか?っていう視点は、メディアアートを作る時に凄く考えるんですか?

落合 
僕は、小劇場タイプのメディアアーティストだと思って頂ければ良いと思います。メディアアートって、ビジネスとしては遊園地化するかサブカル化するか人畜無害なバーチャルリアリティを目指すかなどのだいたい3択になるんですけど、例えば収益構造を遊園地化するなら、チームラボさんとかは興行収入で動いて、世界各地に展開する事で作品を作りその過程でギャラリーの販売も続けている。
サブカル化の道を通る人はあまりいなくて、でも尖った作品はギャラリーで発表をして、赤字でも作るみたいなものだと思うんです。ただ、産業自体をサステナブルにするには、遊園地化するしか方法はないように見えます。その面ではある程度のお金を払ってくれる地域とか国の仕事だったり、経済の原理と外れた所でしか派手なものは作れないことが多いです。
メディアアートって作品ひとつで原価が5000万ぐらいしたりすることもあるんです。5000万円の物を見に来るのに5000人しか来なかったら、1人あたり1万円じゃないですか?そんなのPay出来るわけがないから、その仕組みや設計をうまく作らないといけない。私は、自分の作品を作るときにお客さんを沢山入れないと成立しないっていうメカニズムにはしてないんです。その辺は協賛をもらったり、自分で作ったり色々なことを組み合わせてやっています。

シライ 
演劇も全く一緒ですね。長塚さんはKAATで芸術監督として、どういう風に考えて作るんですか?

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長塚 
有名な俳優さんが主演をして、後はお芝居の出来る人、若手の俳優さん達が周囲を固める。これで、なんとなく興行が成立するフォルムになっちゃっている。でも、神奈川県の劇場ですよ?県の劇場がそのやり方で東京と張り合ってもね・・・。主演の有名な俳優を取り合うような状態になった時に、これは一体、誰の?何の為の劇場なんだ?っていう問題が生じてくるわけで。勿論、お客さんが大勢入っていいのだけど、そのお客さんは、推しの俳優さんが出演しない限りKAATに来ないわけです。そうすると、劇場の公共性ってどこにあるんだ?興行が成立すれば、公共性が保たれるのか?僕は違うと思う。なんとか演劇を見る習慣を少しでもつけるようにしたいわけですよ。但し、それをするとお客さんが全然入らない可能性も増すわけで、長塚さんのプログラムは全然お客さん入らないって会議でちくちく言われるわけです。

落合 
別にお客さんを入れようと思って仕事をしてるわけじゃないんですから、そんなの関係ないじゃないですか。お客さんが多いか少ないかなんてバリューの一つでしかない。僕は映画が面白いかどうかは映画の一要素でしかすぎない、みたいな話結構好きです。

長塚 
でも、実際には、そこにお金がかかるから、税金を投入したって赤字が出て来るし、劇場で働く人達の人件費も確保しなきゃいけない。これも高騰してくるわけなんです。僕も、皆も自分から就労費は下げないから上がっていく一方で、その上物価も上がるからチケット代も上がっていく。じゃあ、どうするのか?って。
公共劇場なんだから、もっとチケット代を安くして、働き手のコストもシステムから考えていかないといけないんだけど、KAATだけでやるわけにもいかない。仮にKAATだけでギャランティーの仕組みを作ったら、あそこは給料安いから高い方の仕事を優先するってなっちゃうだけだから、ルールが必要になる。人が気軽に入って来られる場所を作っていけるかって模索するんだけど、アーティストも食っていかなきゃいけないから。そこを凄く考えなきゃいけない。

落合 
はい、実によく分かります。ありたい姿と生活はまた違うかもしれない。

シライ 
是非、公共劇場でやって欲しい。逆に、個人的にしか作品を作っていない人もいる中で、文化庁からの助成金を貰おうとすると、この作品を上演する事で社会にどういう意味があるか?みたいな事を書かされるんだけど、本来はそんなこと考えて作品を作っていなくて、それが凄く窮屈なわけです。

落合 
仰る通りだと思います。社会性もまたバリューの一つにしかすぎない。

シライ 
自分のやりたい作品をやる。そう思う人が増えれば増えるほど「豊かな社会」っていう事で良いんじゃないか?って思うんだけど、何でこうなっちゃったんだろう?

落合 
やっぱり、こういう議論でよく思うのです。習慣がない所に芸術を作ろうとしているから、凄く大変なんだろうなっていう感じはしていて・・・。
ヨーロッパの劇場とかギャラリーは、生活の中に入っているじゃないですか?オーケストラとかも含めて。僕らも、昔から寄席はあるし、歌舞伎もあるし、能がある事も知っている。しかしながら、ヨーロッパの社会機能を明治時代に持ってきて、100年をして根付いていないっていうのは、流れる文化の血の歴史が浅い。何となくですけど、フランス移民が人口の半分いたとしたら、劇場にみんな行くと思うんです( 笑 )
ここはアジアの極東で、島国で大陸と比べて遺伝的多様性も少ないし輸入物が馴染むには結構な時間がかかるんじゃないかな。カステラぐらい時間があれば馴染むのかもしれないけど。後、200年ぐらいはかかるんじゃないかな? と思いながら私個人としては気長にやっていたりもするんですけれど。

長塚 
その通り習慣がないからね。じゃあ何をするか!?って言うと、例えば秋に盆踊りを10年もやっていたら「 あの人達は何なんだろう?秋に盆踊りやっている人達って、なんかいい奴らだね・・・。あの人達って盆踊りと同時に劇場でも何かやっているらしいよ!? 」っていう風に、こつこつやるしかない。ただ、効率が良くないから馬鹿にもされるけど。なんか、いいアイディアがないですかね?

落合 
非常に面白いなって思います。盆踊りとか太鼓とかって、やっぱり戦後のカルチャーが強いと思うんですよ。どういう意味かと言うと、古典として盆踊りや雅楽をやっていたけれど、お祭りとして大衆化したのはGHQ以降だから、ここ70年ぐらいの歴史が殆どのくせに、馴染むのが早い。
劇場とかオーケストラの方が昔からやっているのに、組太鼓でパフォーマンス公演します!みたいな感じの人達が出てきてからはまだ50年か60年ぐらい。なのに、元々無かったカルチャーになぜか融合して、日本中で盆踊りをするようになったっていう事は、凄く上手いカルチャーだったんだろうと思います。だから、そういう古そうで新しい大衆化がうまく行ったカルチャーを取り込んでいくのは大切なことだと思う。みんなきっと好きなんだろう。

長塚 
信じられないけど、あっという間に会場に人が押し寄せて来て、老若男女が約2時間半ぐらい楽しそうにずっと踊り続けているんです。こういう事を続けていたら何かになるのかなって思います。ならないかもしれないけれど。

シライ 
なるって信じないと出来なくて。文化庁というか役所のような視点に戻すと、どんどん文化予算が削られている中で、そういう「 もしかしたら未来の為になるのかもしれないし、ならないかもしれない 」っていうような活動にこそお金が必要だと思うんだけど・・・。
今って反対じゃないですか?形になったものには助成するけれど、海の者とも山の者とも分からない若い人達への助成金システムはどんどん削減されていって。結構やばいと思っているんだけど、どう思われます?芸術文化振興基金もいずれ無くなるなんて囁かれているし。

落合 
そういうのの委員をしながら思うことは、いつもすみません。力不足で申し訳ないです、ということかもしれません。

シライ 
広く浅くっていうよりも、狭く深くっていう風に段々と助成金システムが傾いているような気がして、自分達で自分達の首を絞めてるような事なのに、どうにかなんないのかなぁって思って。

落合 
良い悪いをGDP観点で見ている国に、芸術の理解は困難です。文化庁予算の枠組みを決める委員会で、メディアアートの困窮を説明したりするんです。ただ、国全体がビジネスイノベーションの創出に向かって傾いています。アートって長い人類の不断の営みなので、ビジネスイノベーションがどうとかっていう話でもないじゃないですか?本質的には関係がないことです。アートにもイノベーションは多くある。歌舞伎が生まれることもあれば、ビデオ彫刻が生まれることもある。勿論、この時代にビジネスやアートのイノベーションを出すのは成熟社会において重要な事です。だからより良い物を作りたいはずなんですけど、ビジネスイノベーションに軸足を置いた物はアートじゃないよな・・・って思うことも多い。ただ、社会化・社会発信が容易になってそこの経済的価値を換算しやすい社会においては、自己完結型のアートにお金はどんどん落ちなくなっていくんだろうなぁっていう印象があります。

シライ 
盆踊りに助成金はあったんですか?

長塚 
ないない。みんなで面白がってやっていただけです。

シライ 
あれ?アルバイトもしてましたよね?

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長塚 
冗談でね。ジンギスカン屋で( 笑 )
どこまでが劇場でどこまでが見世物でどこまでが本当なのかが分からない事をしようと思って、それを地域の人が面白がってくれればと。それと、もう一つ言うと、僕の劇団は30人ぐらいの人がいて、それぞれ俳優とか大道具とか、舞台監督とか美術家だけじゃなくて学生もいて、主婦の人が制作をやっている。でもその中で、俳優達って職業的に商業演劇のサイクルに入っちゃっているから、なんか僕がやってくれるものだと思っていて、演出をしてもらえるとも思っていて、盆踊りみたいな不明の企画をやる事で、そのやってもらえる発想を崩して、自分達が何かをやるんだって思う為の投資だったんです。お客さんとの出会いに溢れたから何かに繋がるかもしれないから良い投資になりました。
これも、イギリスのナショナルシアターで僕がすごく感銘を受けた場所があったからなんですけど、作品開発しかしていない建物っていうのがあるんです。僕のアイディアを持っていって採用されると、一週間でも二週間でもワークショップをさせてくれる。何が必要ですか?って聞いてくれて、その作品のプロセスが面白そうだった場合は、後5人程雇っていいので7人で考えましょうって。そのワークショップ期間中はちゃんと賃金をもらえるんです。『 ウォー・ホース 』っていうお芝居には、実物サイズのパペットの馬を人間が動かすっていう凄いパフォーマンスがあるんですけど、それがやっぱり面白い。主人公が仔馬と一緒に育っていく話なんだけど、あれってシライケイタさんはご覧になりました?

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シライ 
見ました、二回見ましたよ。あれは、凄い。

長塚 
木で作られた、人間が手動で動かす子馬が成長していって、後で成長した大きな木の馬が現われる。それが舞台の奥から物凄い迫力で走ってくる木の馬もいて、それを見た時に、「 これもナショナル・シアターのスタジオで5年か6年かけて作ったやつなんだ 」って聞いて。

シライ 
あの作品を見ると本当に羨ましく思う。あれに限らず、イギリスの芝居なんか見ると羨ましい。単純にお金をかけたって事じゃなくて。時間をかけているから。

落合 
( 舞台映像を見て )クリエイティブですね。これ!いや、凄いな。

長塚 
僕らは、例えばこういうものを作れるように、豊かな発想を持つように人材を育成して行く。発想を育てていかないと、有名な人が有名な場所で仕事をする事でしか劇場に行く理由がなくなってしまう。

落合 
こういう仕事は相当出来ない。メディアアートの作家をやっているので、演者がいない形でのこういう仕事をする事が多いんですけど、いろんな合理性が人間の意地で突破されている。これは本当に凄いね。出来ない。

シライ 
日本では、後何年くらいかかるんだって思う。

落合 
こういう物が自然に生まれる仕組みがね。組み込まれて無いですね。うちの国は。もちろん習慣の問題は大きいのだろうけれども。文化も技量も。練習していかないと。

シライ 
ハリーポッターの舞台も凄くて、何10年かけても予算回収ができる勝算があるんだろうなぁ。いくらかかってるのか想像もつかないし、テクニックが物凄い。じゃあ、日本のオリジナル作品で同じレベルの物を作る事が出来るのか?って・・・。長塚さん見ました?

長塚 
ロンドンで見ました。色々なマジックがあるんだけど、アナログな事をベースに作っていて、シンプルなテクニックを使ってマジカルに見せているという点においては、めちゃくちゃ面白いなと思います。演劇ってデジタル化するとつまらないですしね。『 ウォー・ホース 』だってね、馬が動くとホコリが立つんですよ。馬が立ち上がる時にパッと舞う印象的なホコリをお客さんは劇場で記憶するんです。

シライ 
本当に、こういう作品を作り出せるようになりたいね。我が国も。

落合 
100年ぐらいすれば、もっとまともになると思うんですけど

シライ 
100年かかりますか・・・。

落合 
人類が劇場を使い始めたのってだいぶ昔ですよね。シェイクスピアからの長い歴史とか、ギリシャから数えばもっともっと長いけれど。シェイクスピアの時代感で言えば、日本では能舞台とか盆踊りや歌舞伎のロジックから行けばもっと早く進むかもしれない。
中村獅童さんにお誘いいただいてスーパー歌舞伎を見に行ったんです。スーパー歌舞伎がインテリじゃないって事ではないんですけど、本来の歌舞伎って、リラックスしながら大衆の中でキラキラのミラーボールが光るぐらいの感じのものだったはずなのに、そうじゃない歌舞伎になっていったものへのアンチテーゼとしては素晴らしく良く出来てるなって思いました。
世間との距離が遠いものは、貴族文化としてしか日本人は残して来ていないから、ポエティックでプライベートなアートっていうものを文化として持つためには大衆化しないパトロン文化のようなものを作っていかないといけない。お茶室にちゃんと構成されているようなものは、やはりコストをかけた文化。
そこから考えたとき、パブリックアートやギャラリーに置くような芸術作品だったりとかシアターで演じるような芸術作品に対して、習慣的にお金を払う文化を持ってないんだっていうのを痛感したんですね。
ただ、国際化に向けていった時に、劇場に行く事が習慣となっている人達が日本に住むと、あれ?劇場が無い。って話になるから、そこをもっとちゃんとしたいと思うんですけど。国によって感じる違いってありませんかね?どう思います?

シライ 
全然違いますよね。全然違う。

落合 
バービカンのギャラリーで展示したことがあったんですけど、あそこの施設で面白いなと思うのは、劇場があって展示できる所があって、そこにライブラリーもあって、住宅もあって、周りに学校もあるじゃないですか。だから生態系の中に、シアターが機能として存在している。

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シライ 
本当に素晴らしい。開演時間も20時ぐらいでしたよね?そこに老夫婦が折りたたみ椅子を持って並ぶじゃないですか。

落合 
あんなに美しい光景はないわけですよ。

シライ 
ないですね。評判が良い作品に人が並んで待つっていう事に感動しましたね。

落合 
バービカンは、本当に美しいですね。今でもイギリス人の血肉になっている。でも、バービカンセンターをそもそも作った時期は、第二次世界大戦で廃墟になった地域を再開発する時で1982年なので、ここ40年ぐらいじゃないですか?それで、ああやって馴染んだカルチャーを作れているのは凄く面白いし、こういう場所を日本の都市にもちゃんと作りたい。下北の例もそうですけど。最近の子供達の授業にはダンスだってあるんだから。

シライ 
演劇も子供達に演劇を教えるとか、ワークショップファシリテーターっていう人も増えてきてるから、間口はかつてよりは随分広がっていると思うんですけどね。この点では公共劇場が盛んで活発な気がするけど、KAATもそうだし、世田谷パブリックシアターもそうだし。

長塚 
呼びかけやすいよね・・・。子供の為とか教育の為っていうと持っていき易いし、習慣にするにはやっぱり重要な事。教育の中に演劇がどれぐらい入れられるのか?っていうのは一つ課題ですよね。

シライ 
コロナ禍では、オンライン演劇っていうのも流行ったし、演劇が広がっていく事に可能性を感じて、もしかしたら100人の劇場に何万人も動員できるっていう事もあるんじゃないかと思ったけど、結果そうならなかったですね。これって何でだったんだろう?

落合 
やっぱり、映像コンテンツとして作り込みが面白くないって思っていて、それから、映画だってネットフリックスと勝負したら単価で勝てないですし、ユーチューブなんてほぼ無料で、ネットフリックスは月額数百円で、NHKの方が実は高いサブスクだったとかって思いながら、といいつつ僕はあの日本最大の動画配信サブスクであるNHKは結構好きなんですけどね( 笑 )それらと比べてオンライン演劇が生き残れるかどうかって話なので、そうするとハードルが高い。

長塚 
やっぱり演劇って自分の周りに観客がいて演者がいる。その空間体験だし、これはもう変えようがなくて。

落合 
人生を変える程震えれば、見に来てくれるけれど。ストリーミングで震えを伝えるのは難しい。

長塚 
県の劇場をやりながら、こんな事を言ってどうなんだ?と思われるかもしれけれど、結局は隣の人に見に来てくれってお願いして、そうやってこの地域の劇場ですって語りかけて、人に会っていくしかない。すると、SNSよりも多くの人が動いたりする。

落合 
それは、凄く分かる。足と対面、ネットワークが大切。

シライ 
コロナになって、あっという間に人が不自由になった瞬間に、テクノロジーは急速に発達して、このZOOMだってそうですよね?

落合 
そうですね。コロナなってからブレイクしましたね。

シライ 
人が不便になると便利になるけど、その事で演劇が思うほどオンラインと親和性が高くなかったっていうか。配信やっても今はほとんど売れないですしね、段々と劇場に来れるように戻ってきたから。

落合 
うちの学生さんとか、共同研究者の人と話していたのは、どうして俺たちは会議用のツールをこんなに沢山作ってきたのに、身体とかセックスとか凄く重要なテーマについて、コンピューターは支援をして来なかったのか?って真面目に考えるよねって。コンピューターって衣食住とは関係ないじゃないですか?肝心の食べ物を食べる事に全然使っていないし、寝る事とか住む事や着る事にだって使わない。三大欲求の睡眠もセックスも食欲も寝る事に使わない。つまり、人間を今の状態から動物じゃないものにしてしまうか?もしくはコンピューターを「動物化」するか?その2択しかないかもしれないと思うと結構面白くて。僕はコンピューターを動物化する方が好きなタイプで計算機が新しく自然化した世界を「 デジタルネイチャー 」と呼んでますが、計算機が自然を包括してくれれば、もうちょっと衣食住も柔らかくなるんだけどなって思いながら過ごしています。

シライ 
コンピューターが動物化する?

落合 
僕は、コンピューターが自然化するって言うんですけど、自然の一部としてコンピューターが含まれる。自然物としてのコンピューターを考えていて、僕らはそれを「 デジタルネイチャー 」と呼んでいます。「 デジタルネイチャー 」って何かを説明しないといけないと思うので画面共有をしていいですか?

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長塚 
え?その話聞けるの?嬉しいなぁ。落合さんのその辺がとても面白そうだと感じていて、これから何が共存出来て、何が淘汰されていくのか?という事をずっと考えているじゃないですか?

落合 
はい。昔の「 自然 」っていうのは、ゆっくりとした速度だったんです。「 自然 」の進化って物理的に低速だったので、科学者が「自然」を明らかにする事が出来た。世界中にある計算機には、生物っていうbiologicalな計算をする人類とか虫とか人工物がいて、MacPCや iphoneとか色々と作ってみたけれどそんなに早い速度ではなかった。

計算機が「 自然 」に満ち溢れていくと、「 自然 」っていうのはやがて変化をしていき、一瞬一瞬で技術進化が起こって違う形になり、人工計算機が世の中に増えていく。アルゴリズムも進化するし形も変わって違ったものになる。物理的には変わらないけど、中身が急激に進化する計算機が入る。
これは「 自然 」の進化法や法則なんです。「自然」というのは、昔からある「 自然 」と、デジタルの上にある「 自然 」の二つが含まれる意味なんですけど、計算機の進化は、人間の認識より遥かに早いので科学は「 自然 」を追いきれない。この現象については『 魔法の世紀 』っていう本に書いたんです。世界の再魔術化が計算機文脈で起こっていくということです。そしてその進展とともに計算機の中と外の「 自然 」は、やがて一つの「 自然 」となり、大いなる「 自然 」を「 新しい名前 」で呼ばないといけなくなる。それを「 計算機自然 」と呼んでいます。

今の時代は、計算機の魔術化によって、ほぼ理由が分かっていないのに、結果が使える時代になっています。ここであらゆるものの動作や理由が分かっていない事の現代において重要な点は、多くの場合、専門家ですら分かっていないという事。だけど結果が出るから使っている。そんな「 デジタルネイチャー 」が物凄いスピードで進化しているので、今までの世界認識では追いつけていないんです。
今これって見えてますか?Stable Diffusion Developer Adoptionっていうのなんですけど、世の中にはBitcoinとかEthereumとか色々なものがあって、その中でStable Diffusionの進化は直角なんです。恐らくこれはこのままの速度で行くだろうと思います。後、シンギュラリティが2040年って言われたのは、2011年から見た角度なんですけど、シンギュラリティと言われた後に、世の中はAIの研究をしまくるようになったので、角度がもっと急になっていきました。

AGIという人間レベルを超えたコンピュータ知能に人がアクセスでき始めるのは2025年から2030年の間にはなるだろうって最近は言われています。日本人は意外とこういう類いの話をしないので、意外と気付いてない。でも、一端では気付いていて、例えばAIで画像を生成するのも綺麗にできるし、動画だって作れるじゃないですか?昔はアニメーションを書くって物凄いコストがかかったんだけど、今はリアルタイムで出来るし出来上がる量も凄く多い。最近は論文を出してくれる人工知能も出てきてしまいました。
やがて一部のめちゃくちゃ面白い事を思いつく人だけが、論文を1人で200本とかあげる様になるんですよ。この速度感がすごく良くて・・・。その感じは、ちょっと見た方が早いかもですね。

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シライ 
それ、物語もいけるのかなぁ。

落合 
物語? 多分余裕ですよ。

シライ 
戯曲も?

落合 
戯曲も多分。
昨日、AIに文章を書かせていたら感動しちゃってですね( 笑 )人間が打った文章は「 リアルとデジタルの境界がほとんどなくなっている所にリアルとデジタルの境界がある 」なんですけど、その後をAIが書いてくれたんです。
それが「 人間を含むすべての生命の連鎖は広大なデジタル世界へとそのフィールドを広げつつある。それは生命が新たなフィールドを獲得し、生死を超えて高度化し始めたことを意味する。これを死の終焉という。生と死の境界線は殆どが失われている・・・ 」って、ゾクッとしますよね。

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シライ 
これ、良い文章だな

長塚 
凄いな

落合 
感動的なんですよ。AIが書いてなくても「 死の終焉 」なんて言葉を人間が綺麗に出すのって大変だろうし、きっと頭を抱えるよなって思うんです

長塚 
これって、落合さんが特別に作り出したAIなの?

落合 
これは一般的に使えるAIです。こうしてAIは物凄い速度で書いてくれるわけですね。

シライ 
これは、毎回同じものになるんです?

落合 
ランダム値を揃えていれば同じものが出てきますけど、ランダムにも出せます。例えば、英語で生成して最後日本語にするようにしますね。
こうすると戯曲ですよね?2人はずっと会話をしているので。ブリハスパティとジャスパーが出てきました。この2人は何も指示を出していないのに、一体どこから来たんだろう?(笑)
なになに?パティ「 あなたの言う「 線 」とは、それ自体が一種の仮想現実のようなものですね? 」ジャスパー「 そうです。そうです。ある程度全ての境界線は一種の仮想現実として存在しています。すべての境界線は経験できることの限界でもあります。それなのに境界線上で物事を行わなければならないのは、その境界線がなければ全く何も存在しないからです・・・ 」

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長塚 
なんで、そうですって2回言うんだろう・・・。

落合 
ジャスパーは、「そうです。そうです」っていうキャラクターになっていますね。

シライ・長塚 
なってる( 笑 )

長塚 
コンピューターに疎いから僕にはちょっと分からないんですけど、AI それぞれに個性っていうのはあるんですかね?

落合 
個性をチューニングするのは最近の流行りです。入力の方法はさまざま。学習データを変えたり、事前に指令を出したり。

長塚 
AIが真理に近いようなことを話していますね?

落合 
これは、僕が真理に近いような話し方をする文章を入れたからですね。

シライ 
これ、敵わんな・・・。俺は朝まで書いて1行も進まなかったのに・・・。

落合 
文章のトーンとかも割と決めることが出来ます。重要なのは情報的なプロセスは高速なのですが、それと同じロボットを作るとすると、熱力学的限界があるし、物理法則を越えられない。しかしこの物理世界は環境の応答速度も充分に遅いし、人間の認知バイアスがボトルネックになるし、大人は思い出に勝てない。
コンピュータは十分に高速な進展を遂げながらも、人間社会にまつわるそれ以外の情報的プロセスは随分高速に進むので、楽しいことが起こっているなって思いながら作品を作っていますけど。

シライ 
人間が将棋でAI勝てない様に、文章も勝てない?

落合 
勝てないと思います。

シライ 
スピードは勿論勝てないと思うんだけど・・・。これ、演劇やばくないですか?

落合 
大丈夫ですよ。皆さんが一日に2百本の台本を書くって事になるわけですから。

シライ 
そうか、そう考えれば良いのか。

落合 
そう考えるだけでモチベーションが全然違うんです。

シライ 
俺が書いてるって思えば良いんだ。

落合 
そうそう。僕は、先週500曲は作曲しましたから。

シライ 
これを俺が書いてるって思えるもんですか?

落合 
はい。基本的にDJだと思えば。

シライ 
なるほど

長塚 
入り口は、作家が作っているわけだよね。

落合 
お膳立てはしていますね。

シライ マジで欲しいかも(笑)

落合 これは、今使ってたのはノーベルAIっていうオープンサービスなので誰でも使えます。ちゃんと動くのは英語限定だけど。日本語のプロトタイプも公開されていますが。英語でも今みたいに日本語翻訳をしてあげれば良いと思います。

シライ 
これに手を出したら、何かが変わっていく気がする・・・。

落合 
自分が直角に上り始める瞬間がある。技術進化速度と同じだけ文章が書ける(笑)

シライ 
でも、俺じゃないってならないかなぁ。

落合 
メディアアートをしている僕からすれば、あんまり変わらないですね。道具は常に変わり続ける。

長塚 
凄いな・・・。最近、中野信子さんがAIで作った絵画っていうのを見て、それも凄いなって思った。

AIで作った絵画

落合 
これは、さっきAIが書いた文章を元に描いた絵ですけど。AIが書いた文章を分節化して、その文節から絵を描かせて、辻褄が合いそうな絵だけを拾ってくるっていう作業をしてあげると、それだけでロードムービーが作れそうじゃないですか?

長塚 
落合さんの中で、アーティストっていうのは、今後どうなっていくんだろう?

落合 
料理人かお膳立てをする人だと思いますね。( 共有画面に戻って )これは音楽生成AIなんですけど、150秒と指示して再生ボタンを押すとAIが音楽を作り始めます。注目すべき所は、150秒の曲を15秒ぐらいで作るんです。人類って何だったんだろうな?って思うことが結構あって・・・( 出来た曲を3人で聞きながら )ほら、ちゃんとした曲を作るんですよ。

長塚 
え?これ、話している間に3曲も出来たって事?

落合 
今、4曲目も出来ましたね。全部の曲を聞き終わる前に次の曲が完成するから、全部を聞く事が出来ないんですよ。この動きって、明らかに今までと違いますよね?

長塚 
違うねぇ。

落合 
今までだったら、1曲目を考え始めたぐらいですよね?再生を始めてから1分25秒しか経ってないのに、1分30秒の曲が7曲手に入ってる。

シライ 
なんて言うテーマを入れていたんですか?

落合
 「 アジアン・パーカッション・トラディショナル・太鼓 」とかって書いてあります。サントラだったらある程度はこういう感じで良いかなと。言葉を打てればいいから、音も言葉で作っているし、言葉から言葉への変換も作っているので、真髄に近いなって思います。

長塚 
本人が、作られた文章を評価する時間ってあるじゃない?

落合 評価をどれだけ早く・もしくはどう展開するのかを考えることが出来るのか?が、一番のポイントです。且つその評価する時間を効率化するための技術を、我々の研究室で研究しています。出来た写真を効率的に評価して、人間が決めやすい方法があると更に高速で作る事が出来る。コンテンツの生成速度を人類は振り切ると思います。
今まで芥川龍之介が生涯でこれだけの数の作品を書きましたっていう時代から、小学生が200本を一時間で書きました。という事になるので、その中から物凄い作品は生まれてくると思うんですよ。

長塚 
ただ、それ見つけられない可能性もある。

落合 
そうです。こんなに世の中にとって、作る事が簡単になってしまうと見つけられない可能性がある。

シライ 
それは、現在のAIには出来ない?

落合 
AIに、それをさせるシステムを作っていくのが重要なので近頃は研究しています。

長塚 
人間っていらなくなる?

落合 
まぁ、お金を払えるのは人間だけなので必要だと思います。僕はロボットにお金を払わせれば良いって、昔から言ってるんです。価値が高いと人が思ったものに経済効果があるとされるので。
ただ、料理みたいになっちゃう可能性はかなり高いですね。誰でも卵かけご飯は作れるから、卵かけご飯みたいな脚本は誰でも書ける。ただそこにトリュフをかけるか?トリュフをどこで見つけてくるか?みたいな事がポイントになってしまう可能性が高いなって思っていて、作曲家は、敵がかなり増えるから困ると思うし、イラストレーターは殆ど失業するかもしれないレベル。でも、AIを使いこなせるイラストレーターは最強で、一日に1000枚でも2000枚でも作る。

長塚 
落合さんがいて、驚いているケイタさんもいて、今のこの事象に対峙している人間として、僕らは何を描けるか?っていう所も追い越されそうだね。

落合 
それも凄くおもしろくないですか?コンテクストとして楽しめれば、楽しいはずなんです。それにこれは、追い越すか?追い越せないのか?より、エンジョイするか?しないか?の議論だなって思っています。

シライ 
すげぇ面白くて、聞けてよかったぁ。

長塚 
ついてるよ。こんな話を聞けて。

シライ 
それでも僕たちは、亀の歩みで進んでいくのか?問われているっていう事かなぁ。

落合 
そうですね。乗るなら早めに乗った方がいいし、乗らないなら突き詰めていった方がいいと思うし。

シライ 
どっちかだなぁ。本当に。

落合 
今、よくこれで遊んでいるんですけど。ZOOMのスクショを撮って、バリエーションを作るんです。これはOpenAIのDalle2ですね。

シライ 
何を作れって指示を出しているんですか?

落合 
シライさんのバリエーションを何人か作ってくださいって。シライさんみたいな、シライさんじゃない人を作ってくださいって指示を出したので、間もなくシライさんじゃない人がいっぱい出来ます。

シライ 
( 爆笑 )なるほど、なるほど。

OpenAIの画像

落合 
まだ顔の安定性が低いですがこれもすぐ変わると思います。

シライ 
これだけの速さでコンピューターからの情報が来ると、落合さんの脳って大丈夫なんですか?ついて行けるんですか?

落合 
はい。イントロ聞いただけで曲を当てるクイズってあったじゃないですか?人生があの感じに近いです。良い事か悪い事かは置いたとして、適用しきってみれば違った光景が見えるのかな?と思っています。

長塚 
これを見せてもらった事で「 デジタルネイチャー 」っていう感覚はなんとなく分かる気がします。

落合 
コンピューターの進化速度があまりに早いので、人間の価値感覚がちょっと変わってしまうのですが、お2人と話をしていて非常にフィジカルなコラボレーションをしたら楽しそうだったので、是非一緒に皆さんと何かが出来ればと思いました。それと、僕は光の速度で転がり続けているので、何かあったら拾ってください( 笑 )よろしくお願いします。

YoichiOchiaiさんの画像

シライ 
僕はきっと亀の速度で歩くので、亀の速度と光の速度で一緒にやれる事が本当に面白そうです。きっと極めて個人的な事で、物を作り続けていくと思うし、大学の先生も協会の理事もやっているけど、基本的には個人的なものを作り続けたいし、そこにいたいなって思うんでね。圭史さんにはパブリックな所で広げていって頂いて、何か違う立場で物を一緒にやれたらいいなって本当に思っています。

長塚 
このスピード感を見せてもらえる機会って意外となくて。特に演劇をやっている僕達からすると、この社会のスピード感とAIが追いついてくるという事象の中で、僕らはどう向き合っていくのか?凄く面白いよね。抗うのも、乗っかるのもどっちも面白そうだっていう事を、今日は初めて知ったんだけど、もうちょっと色んな話をしてみたいと思いました。落合さんの一番の安堵する時間っていうものはなんなのか?みたいな事も含めて。僕はアナログな事しかして来てないから、いつもiphoneを投げ捨てようかどうしようか悩むぐらいだし、だけどこの現状を知れた事にむちゃくちゃワクワクしました。

落合 
ありがとうございます。僕も非常に楽しかったし、盆踊りをしたいです。

長塚 
僕らは、まず落合さんに劇場に来てもらう事からだろうね。

落合 
一日に100本書けるか、仕事がなくなるか?って言ったら、一日に100本書ける事は楽しいじゃないですか?楽しいって思うと楽しい。本日はありがとうございました。

長塚・シライ 
ありがとうございました。

長塚圭史の画像

長塚圭史

劇作家・演出家・俳優。1996年、演劇プロデュースユニット阿佐ヶ谷スパイダースを旗揚げし、作・演出を手掛ける。2017年より劇団化。2008年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。2011年、ソロプロジェクト・葛河思潮社を始動、三好十郎作『 浮標 』、『 冒した者 』などを上演。2017年、新ユニット・新ロイヤル大衆舎を結成し、北條秀司作『王将』三部作を下北沢・小劇場楽園で上演。KAAT神奈川芸術劇場での演出作品に『 作者を探す六人の登場人物 』( 2017年 / 上演台本・演出 )、『 セールスマンの死 』( 18年・21年 / 演出 )、『常陸坊海尊』(2019年 / 演出 )、『 王将 』- 三部作 -( 2021年 / 構成台本・演出・出演 )、『 近松心中物語 』( 2021年 / 演出 )、『 冒険者たち 〜JOURNEY TO THE WEST〜 』( 2022年 / 上演台本・演出・出演 )、『 夜の女たち 』( 2022年/上演台本・演出 )。その他近年の主な舞台に、新ロイヤル大衆舎『 緊急事態軽演劇八夜 』( 2020年 / 演出・出演 )、『 イヌビト~犬人~ 』( 2020年 / 作・演出・出演 )、阿佐ヶ谷スパイダース『 老いと建築 』( 2021年 / 作・演出・出演 )など。2005年第55回芸術選奨文部科学大臣新人賞、2007年第14回読売演劇大賞優秀演出家賞受賞。俳優としても映画『 ランブラーズ2 』、『 シン・ウルトラマン 』、『 百花 』などに出演。21年4月よりKAAT神奈川芸術劇場芸術監督。

落合陽一の画像

落合陽一

メディアアーティスト。1987年生まれ、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了(学際情報学府初の早期修了 )、博士( 学際情報学 )。筑波大学デジタルネイチャー開発研究センターセンター長、准教授・JSTCRESTxDiversityプロジェクト研究代表。IPA認定スーパークリエータ/天才プログラマー.ピクシーダスト テクノロジーズ代表取締役.
2017年 – 2019年まで筑波大学学長補佐,2018年より内閣府知的財産戦略ビジョン専門調査会委員,内閣府「 ムーンショット型研究開発制度 」ビジョナリー会議委員及び内閣府ムーンショットアンバサダー,デジタル改革法案WG構成員,2020-2021年度文化庁文化交流使,大阪・関西万博テーマ事業プロデューサーなどを歴任.

2015年WorldTechnologyAward、2016年PrixArsElectronica、EUよりSTARTSPrizeを受賞。LavalVirtualAwardを2017年まで4年連続5回受賞、2017年スイス・ザンガレンシンポジウムよりLeadersofTomorrow選出、2019年SXSWCreativeExperienceARROWAwards受賞、2021年MIT Technology Review Innovators Under 35 Japan ,2021 PMI Future 50、Apollo Magazine 40 UNDER 40 ART and TECHなどをはじめアート分野・テクノロジー分野で受賞多数。
個展として「 ImageandMatter( マレーシア・2016 ) 」、「 質量への憧憬( 東京・2019 )」、「 情念との反芻( ライカ銀座・2019 ) 」など。その他の展示として、「 AI展( バービカンセンター、イギリス・2019 ) 」、「 計算機自然( 未来館・2020 )」など多数出展。著作として「 魔法の世紀( 2015 )」、「 デジタルネイチャー( 2018 )」など。写真集「 質量への憧憬( amana・2019 )」など。メディアアートを計算機自然のヴァナキュラー的民藝と捉え、「 物化する計算機自然と対峙し、質量と映像の間にある憧憬や情念を反芻する 」をステートメントに、研究や芸術活動の枠を自由に越境し、探求と表現を継続している。

シライケイタの画像

シライケイタ

演出家、劇作家、俳優。劇団温泉ドラゴン代表。
桐朋学園芸術短期大学演劇専攻在学中に、蜷川幸雄演出の「 ロミオとジュリエット 」パリス役に抜擢され俳優デビュー。その後、数々の舞台やテレビ、CMに出演。2011年より劇作と演出を開始。劇団温泉ドラゴンの座付き作家・演出家として数々の作品を発表。劇団外での演出や脚本提供も多い。新劇、アングラ劇団、プロデュース公演など様々なジャンルで創作をコロナで問われる事となった芸術が社会にどのような役割を果たしているのか?まずはこの当たりから皆さんのご意見を伺いたいと思うのですが、いかがでしょうか?

落合
文化審議会議のメンバ-として、文化芸術推進基本計画第二期を策定中に、デジタルが足りない事を伝えました。審議をする立場ではあるのですが、言える事としては「 社会と芸術 」と言う事について、政府の側はよく見ているという事ですね。
僕は、基本的に作品を作っていますし、大学で教員をしています。よく作品をギャラリー的に販売するという事はしますが、作品をプロダクトに変える興行を殆どしないので、アートビジネスとしてはそんなに大規模ではないと思います。もちろん自分のスタートアップは市販品を販売しています。
さまざまな立ち位置があって、大学では講義も入れれば1000人ぐらいの学生さんを教えていますがゼミは数十人程度。アートをやってるゼミは筑波でなくてデジタルハリウッド大でやっているので数人程度。それでも全体感で見た時に私はアートの文脈も文化活動も好きなので、アート以外に人類がやる事は特に無いんじゃないか?と思っているんですけれど。

シライ 
どうです?長塚さんはスーパーパブリックですよね?

長塚 
まあ、そうですけど・・・。実は、一昨日まで下北沢で盆踊りやってて( 笑 )

落合 
プライベートで?

長塚 
プライベートというか、劇団でこじんまりと始めた事が、いつの間にか下北沢と一緒に連携することになって・・・。実は、3年間も下北沢には盆踊りがなかったんですよ。

落合 
あ、半パブリックがパブリックになったって事ですよね?すごく面白い。

長塚 
面白いですよね。「 本多スタジオ 」って言う1982年に建てられた建物が下北沢の開発で潰れちゃうっていう事なんですけれど、工事の時期が決まらないからスタジオも行き場所を失っちゃっていて空いてたんですよ。それだったらと一か月ぐらい借りて、そこで劇団員と何かをやって、お客さんと繋がれるぐらいでいいかなと思っていたら、さまざまなアイディアが集まる中、盆踊りやろうって言い出した人がいて。
盆踊りって演劇でどうやってやるんだ?と言ったんだけど、本多劇場グループさんが「 じゃあちょっと広場を借りましょうか? 」って言って、昭和信用金庫さんの駐車場を借りる事になったんですよ。そしたら行政との調整が始まって。最終的には世田谷区が後援になるような形で商店街が中心になって「 秋の下北沢盆踊り大会 」となりました。
劇団レベルで始まったことが、終わってみれば地域の方とじゃあ今後はどうするのか?って話になってる。僕が思ったのは、求める人の所に伸びていく物の方が、めちゃくちゃ面白い出来事が起きたっていう実感があるなって。
後、公共劇場としては、観劇人口なんて少ないですし、劇場自体知らない人も多いんだから、劇場が町にある事の良さをどう伝えていくかって思考をしていて、より多くの人が気軽に入って来られるようにしたいんだけど、どうもチケット代が高すぎて観に来られないという矛盾を抱えていて。
落合さんどうですか?演劇ってご覧になられてます?

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落合 
今は全然見に行かないですけど。
万有引力の公演を友達が好きだったので、昔はたまに見に行ったりしていましたね。あー、こんなものがあるのかって感動しました。大人になってからは能や歌舞伎に呼ばれたりとかはあります。ただ、小劇場に呼ばれる事は少ないので、あまり出入りしないのが現状です。もちろん友達の公演には行くのですけども。

長塚 
近年のデジタル化というか、コンピューターの世界がこれだけ進んでいる中で、劇場とか演劇の必要性を、落合さんはどうご覧になっているんですか?

落合 
僕も、劇場でのパフォーマンスはするんです。近頃は音楽や映像をリアルタイムで生成したりパフォーマーとして表現して発表するって事は月一ぐらいでしています。ただ、演劇的要素、僕の頭の中はどっちかっていうと映像的に出来ているので、視点だったり決められた尺で何かを切ったり、例えば暗い中からそのビジュアルが上がってきて、音が入って来て観客の視覚、聴覚、身体の感覚的体験として作り込むっていう事についてのイメージはしやすいタイプの人間なんですが、ここで人が出てきてこうやって演じたらこの人たちはどういう気持ちになる?みたいな事には全く頭が働かないので・・・。人と人との交流をデザインしたり演出したりとかして行く所に、僕は演劇の妙があると思っていて、演劇にしか出来ない事だと思っています。私はそういった人と人の間にデジタルを介在させること自体は大学研究では頻繁にやるものの、あまり劇場ではやっていないのが現状です。

シライ 
演劇ってそもそもお客さんの数が凄く少ないんだけど、社会の役割に沿って言うとお客さんって多い方がいいと思うんです。どのように客を獲得していくか?っていう視点は、メディアアートを作る時に凄く考えるんですか?

落合 
僕は、小劇場タイプのメディアアーティストだと思って頂ければ良いと思います。メディアアートって、ビジネスとしては遊園地化するかサブカル化するか人畜無害なバーチャルリアリティを目指すかなどのだいたい3択になるんですけど、例えば収益構造を遊園地化するなら、チームラボさんとかは興行収入で動いて、世界各地に展開する事で作品を作りその過程でギャラリーの販売も続けている。
サブカル化の道を通る人はあまりいなくて、でも尖った作品はギャラリーで発表をして、赤字でも作るみたいなものだと思うんです。ただ、産業自体をサステナブルにするには、遊園地化するしか方法はないように見えます。その面ではある程度のお金を払ってくれる地域とか国の仕事だったり、経済の原理と外れた所でしか派手なものは作れないことが多いです。
メディアアートって作品ひとつで原価が5000万ぐらいしたりすることもあるんです。5000万円の物を見に来るのに5000人しか来なかったら、1人あたり1万円じゃないですか?そんなのPay出来るわけがないから、その仕組みや設計をうまく作らないといけない。私は、自分の作品を作るときにお客さんを沢山入れないと成立しないっていうメカニズムにはしてないんです。その辺は協賛をもらったり、自分で作ったり色々なことを組み合わせてやっています。

シライ 
演劇も全く一緒ですね。長塚さんはKAATで芸術監督として、どういう風に考えて作るんですか?

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長塚 
有名な俳優さんが主演をして、後はお芝居の出来る人、若手の俳優さん達が周囲を固める。これで、なんとなく興行が成立するフォルムになっちゃっている。でも、神奈川県の劇場ですよ?県の劇場がそのやり方で東京と張り合ってもね・・・。主演の有名な俳優を取り合うような状態になった時に、これは一体、誰の?何の為の劇場なんだ?っていう問題が生じてくるわけで。勿論、お客さんが大勢入っていいのだけど、そのお客さんは、推しの俳優さんが出演しない限りKAATに来ないわけです。そうすると、劇場の公共性ってどこにあるんだ?興行が成立すれば、公共性が保たれるのか?僕は違うと思う。なんとか演劇を見る習慣を少しでもつけるようにしたいわけですよ。但し、それをするとお客さんが全然入らない可能性も増すわけで、長塚さんのプログラムは全然お客さん入らないって会議でちくちく言われるわけです。

落合 
別にお客さんを入れようと思って仕事をしてるわけじゃないんですから、そんなの関係ないじゃないですか。お客さんが多いか少ないかなんてバリューの一つでしかない。僕は映画が面白いかどうかは映画の一要素でしかすぎない、みたいな話結構好きです。

長塚 
でも、実際には、そこにお金がかかるから、税金を投入したって赤字が出て来るし、劇場で働く人達の人件費も確保しなきゃいけない。これも高騰してくるわけなんです。僕も、皆も自分から就労費は下げないから上がっていく一方で、その上物価も上がるからチケット代も上がっていく。じゃあ、どうするのか?って。
公共劇場なんだから、もっとチケット代を安くして、働き手のコストもシステムから考えていかないといけないんだけど、KAATだけでやるわけにもいかない。仮にKAATだけでギャランティーの仕組みを作ったら、あそこは給料安いから高い方の仕事を優先するってなっちゃうだけだから、ルールが必要になる。人が気軽に入って来られる場所を作っていけるかって模索するんだけど、アーティストも食っていかなきゃいけないから。そこを凄く考えなきゃいけない。

落合 
はい、実によく分かります。ありたい姿と生活はまた違うかもしれない。

シライ 
是非、公共劇場でやって欲しい。逆に、個人的にしか作品を作っていない人もいる中で、文化庁からの助成金を貰おうとすると、この作品を上演する事で社会にどういう意味があるか?みたいな事を書かされるんだけど、本来はそんなこと考えて作品を作っていなくて、それが凄く窮屈なわけです。

落合 
仰る通りだと思います。社会性もまたバリューの一つにしかすぎない。

シライ 
自分のやりたい作品をやる。そう思う人が増えれば増えるほど「豊かな社会」っていう事で良いんじゃないか?って思うんだけど、何でこうなっちゃったんだろう?

落合 
やっぱり、こういう議論でよく思うのです。習慣がない所に芸術を作ろうとしているから、凄く大変なんだろうなっていう感じはしていて・・・。
ヨーロッパの劇場とかギャラリーは、生活の中に入っているじゃないですか?オーケストラとかも含めて。僕らも、昔から寄席はあるし、歌舞伎もあるし、能がある事も知っている。しかしながら、ヨーロッパの社会機能を明治時代に持ってきて、100年をして根付いていないっていうのは、流れる文化の血の歴史が浅い。何となくですけど、フランス移民が人口の半分いたとしたら、劇場にみんな行くと思うんです( 笑 )
ここはアジアの極東で、島国で大陸と比べて遺伝的多様性も少ないし輸入物が馴染むには結構な時間がかかるんじゃないかな。カステラぐらい時間があれば馴染むのかもしれないけど。後、200年ぐらいはかかるんじゃないかな? と思いながら私個人としては気長にやっていたりもするんですけれど。

長塚 
その通り習慣がないからね。じゃあ何をするか!?って言うと、例えば秋に盆踊りを10年もやっていたら「 あの人達は何なんだろう?秋に盆踊りやっている人達って、なんかいい奴らだね・・・。あの人達って盆踊りと同時に劇場でも何かやっているらしいよ!? 」っていう風に、こつこつやるしかない。ただ、効率が良くないから馬鹿にもされるけど。なんか、いいアイディアがないですかね?

落合 
非常に面白いなって思います。盆踊りとか太鼓とかって、やっぱり戦後のカルチャーが強いと思うんですよ。どういう意味かと言うと、古典として盆踊りや雅楽をやっていたけれど、お祭りとして大衆化したのはGHQ以降だから、ここ70年ぐらいの歴史が殆どのくせに、馴染むのが早い。
劇場とかオーケストラの方が昔からやっているのに、組太鼓でパフォーマンス公演します!みたいな感じの人達が出てきてからはまだ50年か60年ぐらい。なのに、元々無かったカルチャーになぜか融合して、日本中で盆踊りをするようになったっていう事は、凄く上手いカルチャーだったんだろうと思います。だから、そういう古そうで新しい大衆化がうまく行ったカルチャーを取り込んでいくのは大切なことだと思う。みんなきっと好きなんだろう。

長塚 
信じられないけど、あっという間に会場に人が押し寄せて来て、老若男女が約2時間半ぐらい楽しそうにずっと踊り続けているんです。こういう事を続けていたら何かになるのかなって思います。ならないかもしれないけれど。

シライ 
なるって信じないと出来なくて。文化庁というか役所のような視点に戻すと、どんどん文化予算が削られている中で、そういう「 もしかしたら未来の為になるのかもしれないし、ならないかもしれない 」っていうような活動にこそお金が必要だと思うんだけど・・・。
今って反対じゃないですか?形になったものには助成するけれど、海の者とも山の者とも分からない若い人達への助成金システムはどんどん削減されていって。結構やばいと思っているんだけど、どう思われます?芸術文化振興基金もいずれ無くなるなんて囁かれているし。

落合 
そういうのの委員をしながら思うことは、いつもすみません。力不足で申し訳ないです、ということかもしれません。

シライ 
広く浅くっていうよりも、狭く深くっていう風に段々と助成金システムが傾いているような気がして、自分達で自分達の首を絞めてるような事なのに、どうにかなんないのかなぁって思って。

落合 
良い悪いをGDP観点で見ている国に、芸術の理解は困難です。文化庁予算の枠組みを決める委員会で、メディアアートの困窮を説明したりするんです。ただ、国全体がビジネスイノベーションの創出に向かって傾いています。アートって長い人類の不断の営みなので、ビジネスイノベーションがどうとかっていう話でもないじゃないですか?本質的には関係がないことです。アートにもイノベーションは多くある。歌舞伎が生まれることもあれば、ビデオ彫刻が生まれることもある。勿論、この時代にビジネスやアートのイノベーションを出すのは成熟社会において重要な事です。だからより良い物を作りたいはずなんですけど、ビジネスイノベーションに軸足を置いた物はアートじゃないよな・・・って思うことも多い。ただ、社会化・社会発信が容易になってそこの経済的価値を換算しやすい社会においては、自己完結型のアートにお金はどんどん落ちなくなっていくんだろうなぁっていう印象があります。

シライ 
盆踊りに助成金はあったんですか?

長塚 
ないない。みんなで面白がってやっていただけです。

シライ 
あれ?アルバイトもしてましたよね?

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長塚 
冗談でね。ジンギスカン屋で( 笑 )
どこまでが劇場でどこまでが見世物でどこまでが本当なのかが分からない事をしようと思って、それを地域の人が面白がってくれればと。それと、もう一つ言うと、僕の劇団は30人ぐらいの人がいて、それぞれ俳優とか大道具とか、舞台監督とか美術家だけじゃなくて学生もいて、主婦の人が制作をやっている。でもその中で、俳優達って職業的に商業演劇のサイクルに入っちゃっているから、なんか僕がやってくれるものだと思っていて、演出をしてもらえるとも思っていて、盆踊りみたいな不明の企画をやる事で、そのやってもらえる発想を崩して、自分達が何かをやるんだって思う為の投資だったんです。お客さんとの出会いに溢れたから何かに繋がるかもしれないから良い投資になりました。
これも、イギリスのナショナルシアターで僕がすごく感銘を受けた場所があったからなんですけど、作品開発しかしていない建物っていうのがあるんです。僕のアイディアを持っていって採用されると、一週間でも二週間でもワークショップをさせてくれる。何が必要ですか?って聞いてくれて、その作品のプロセスが面白そうだった場合は、後5人程雇っていいので7人で考えましょうって。そのワークショップ期間中はちゃんと賃金をもらえるんです。『 ウォー・ホース 』っていうお芝居には、実物サイズのパペットの馬を人間が動かすっていう凄いパフォーマンスがあるんですけど、それがやっぱり面白い。主人公が仔馬と一緒に育っていく話なんだけど、あれってシライケイタさんはご覧になりました?

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シライ 
見ました、二回見ましたよ。あれは、凄い。

長塚 
木で作られた、人間が手動で動かす子馬が成長していって、後で成長した大きな木の馬が現われる。それが舞台の奥から物凄い迫力で走ってくる木の馬もいて、それを見た時に、「 これもナショナル・シアターのスタジオで5年か6年かけて作ったやつなんだ 」って聞いて。

シライ 
あの作品を見ると本当に羨ましく思う。あれに限らず、イギリスの芝居なんか見ると羨ましい。単純にお金をかけたって事じゃなくて。時間をかけているから。

落合 
( 舞台映像を見て )クリエイティブですね。これ!いや、凄いな。

長塚 
僕らは、例えばこういうものを作れるように、豊かな発想を持つように人材を育成して行く。発想を育てていかないと、有名な人が有名な場所で仕事をする事でしか劇場に行く理由がなくなってしまう。

落合 
こういう仕事は相当出来ない。メディアアートの作家をやっているので、演者がいない形でのこういう仕事をする事が多いんですけど、いろんな合理性が人間の意地で突破されている。これは本当に凄いね。出来ない。

シライ 
日本では、後何年くらいかかるんだって思う。

落合 
こういう物が自然に生まれる仕組みがね。組み込まれて無いですね。うちの国は。もちろん習慣の問題は大きいのだろうけれども。文化も技量も。練習していかないと。

シライ 
ハリーポッターの舞台も凄くて、何10年かけても予算回収ができる勝算があるんだろうなぁ。いくらかかってるのか想像もつかないし、テクニックが物凄い。じゃあ、日本のオリジナル作品で同じレベルの物を作る事が出来るのか?って・・・。長塚さん見ました?

長塚 
ロンドンで見ました。色々なマジックがあるんだけど、アナログな事をベースに作っていて、シンプルなテクニックを使ってマジカルに見せているという点においては、めちゃくちゃ面白いなと思います。演劇ってデジタル化するとつまらないですしね。『 ウォー・ホース 』だってね、馬が動くとホコリが立つんですよ。馬が立ち上がる時にパッと舞う印象的なホコリをお客さんは劇場で記憶するんです。

シライ 
本当に、こういう作品を作り出せるようになりたいね。我が国も。

落合 
100年ぐらいすれば、もっとまともになると思うんですけど

シライ 
100年かかりますか・・・。

落合 
人類が劇場を使い始めたのってだいぶ昔ですよね。シェイクスピアからの長い歴史とか、ギリシャから数えばもっともっと長いけれど。シェイクスピアの時代感で言えば、日本では能舞台とか盆踊りや歌舞伎のロジックから行けばもっと早く進むかもしれない。
中村獅童さんにお誘いいただいてスーパー歌舞伎を見に行ったんです。スーパー歌舞伎がインテリじゃないって事ではないんですけど、本来の歌舞伎って、リラックスしながら大衆の中でキラキラのミラーボールが光るぐらいの感じのものだったはずなのに、そうじゃない歌舞伎になっていったものへのアンチテーゼとしては素晴らしく良く出来てるなって思いました。
世間との距離が遠いものは、貴族文化としてしか日本人は残して来ていないから、ポエティックでプライベートなアートっていうものを文化として持つためには大衆化しないパトロン文化のようなものを作っていかないといけない。お茶室にちゃんと構成されているようなものは、やはりコストをかけた文化。
そこから考えたとき、パブリックアートやギャラリーに置くような芸術作品だったりとかシアターで演じるような芸術作品に対して、習慣的にお金を払う文化を持ってないんだっていうのを痛感したんですね。
ただ、国際化に向けていった時に、劇場に行く事が習慣となっている人達が日本に住むと、あれ?劇場が無い。って話になるから、そこをもっとちゃんとしたいと思うんですけど。国によって感じる違いってありませんかね?どう思います?

シライ 
全然違いますよね。全然違う。

落合 
バービカンのギャラリーで展示したことがあったんですけど、あそこの施設で面白いなと思うのは、劇場があって展示できる所があって、そこにライブラリーもあって、住宅もあって、周りに学校もあるじゃないですか。だから生態系の中に、シアターが機能として存在している。

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シライ 
本当に素晴らしい。開演時間も20時ぐらいでしたよね?そこに老夫婦が折りたたみ椅子を持って並ぶじゃないですか。

落合 
あんなに美しい光景はないわけですよ。

シライ 
ないですね。評判が良い作品に人が並んで待つっていう事に感動しましたね。

落合 
バービカンは、本当に美しいですね。今でもイギリス人の血肉になっている。でも、バービカンセンターをそもそも作った時期は、第二次世界大戦で廃墟になった地域を再開発する時で1982年なので、ここ40年ぐらいじゃないですか?それで、ああやって馴染んだカルチャーを作れているのは凄く面白いし、こういう場所を日本の都市にもちゃんと作りたい。下北の例もそうですけど。最近の子供達の授業にはダンスだってあるんだから。

シライ 
演劇も子供達に演劇を教えるとか、ワークショップファシリテーターっていう人も増えてきてるから、間口はかつてよりは随分広がっていると思うんですけどね。この点では公共劇場が盛んで活発な気がするけど、KAATもそうだし、世田谷パブリックシアターもそうだし。

長塚 
呼びかけやすいよね・・・。子供の為とか教育の為っていうと持っていき易いし、習慣にするにはやっぱり重要な事。教育の中に演劇がどれぐらい入れられるのか?っていうのは一つ課題ですよね。

シライ 
コロナ禍では、オンライン演劇っていうのも流行ったし、演劇が広がっていく事に可能性を感じて、もしかしたら100人の劇場に何万人も動員できるっていう事もあるんじゃないかと思ったけど、結果そうならなかったですね。これって何でだったんだろう?

落合 
やっぱり、映像コンテンツとして作り込みが面白くないって思っていて、それから、映画だってネットフリックスと勝負したら単価で勝てないですし、ユーチューブなんてほぼ無料で、ネットフリックスは月額数百円で、NHKの方が実は高いサブスクだったとかって思いながら、といいつつ僕はあの日本最大の動画配信サブスクであるNHKは結構好きなんですけどね( 笑 )それらと比べてオンライン演劇が生き残れるかどうかって話なので、そうするとハードルが高い。

長塚 
やっぱり演劇って自分の周りに観客がいて演者がいる。その空間体験だし、これはもう変えようがなくて。

落合 
人生を変える程震えれば、見に来てくれるけれど。ストリーミングで震えを伝えるのは難しい。

長塚 
県の劇場をやりながら、こんな事を言ってどうなんだ?と思われるかもしれけれど、結局は隣の人に見に来てくれってお願いして、そうやってこの地域の劇場ですって語りかけて、人に会っていくしかない。すると、SNSよりも多くの人が動いたりする。

落合 
それは、凄く分かる。足と対面、ネットワークが大切。

シライ 
コロナになって、あっという間に人が不自由になった瞬間に、テクノロジーは急速に発達して、このZOOMだってそうですよね?

落合 
そうですね。コロナなってからブレイクしましたね。

シライ 
人が不便になると便利になるけど、その事で演劇が思うほどオンラインと親和性が高くなかったっていうか。配信やっても今はほとんど売れないですしね、段々と劇場に来れるように戻ってきたから。

落合 
うちの学生さんとか、共同研究者の人と話していたのは、どうして俺たちは会議用のツールをこんなに沢山作ってきたのに、身体とかセックスとか凄く重要なテーマについて、コンピューターは支援をして来なかったのか?って真面目に考えるよねって。コンピューターって衣食住とは関係ないじゃないですか?肝心の食べ物を食べる事に全然使っていないし、寝る事とか住む事や着る事にだって使わない。三大欲求の睡眠もセックスも食欲も寝る事に使わない。つまり、人間を今の状態から動物じゃないものにしてしまうか?もしくはコンピューターを「動物化」するか?その2択しかないかもしれないと思うと結構面白くて。僕はコンピューターを動物化する方が好きなタイプで計算機が新しく自然化した世界を「 デジタルネイチャー 」と呼んでますが、計算機が自然を包括してくれれば、もうちょっと衣食住も柔らかくなるんだけどなって思いながら過ごしています。

シライ 
コンピューターが動物化する?

落合 
僕は、コンピューターが自然化するって言うんですけど、自然の一部としてコンピューターが含まれる。自然物としてのコンピューターを考えていて、僕らはそれを「 デジタルネイチャー 」と呼んでいます。「 デジタルネイチャー 」って何かを説明しないといけないと思うので画面共有をしていいですか?

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長塚 
え?その話聞けるの?嬉しいなぁ。落合さんのその辺がとても面白そうだと感じていて、これから何が共存出来て、何が淘汰されていくのか?という事をずっと考えているじゃないですか?

落合 
はい。昔の「 自然 」っていうのは、ゆっくりとした速度だったんです。「 自然 」の進化って物理的に低速だったので、科学者が「自然」を明らかにする事が出来た。世界中にある計算機には、生物っていうbiologicalな計算をする人類とか虫とか人工物がいて、MacPCや iphoneとか色々と作ってみたけれどそんなに早い速度ではなかった。

計算機が「 自然 」に満ち溢れていくと、「 自然 」っていうのはやがて変化をしていき、一瞬一瞬で技術進化が起こって違う形になり、人工計算機が世の中に増えていく。アルゴリズムも進化するし形も変わって違ったものになる。物理的には変わらないけど、中身が急激に進化する計算機が入る。
これは「 自然 」の進化法や法則なんです。「自然」というのは、昔からある「 自然 」と、デジタルの上にある「 自然 」の二つが含まれる意味なんですけど、計算機の進化は、人間の認識より遥かに早いので科学は「 自然 」を追いきれない。この現象については『 魔法の世紀 』っていう本に書いたんです。世界の再魔術化が計算機文脈で起こっていくということです。そしてその進展とともに計算機の中と外の「 自然 」は、やがて一つの「 自然 」となり、大いなる「 自然 」を「 新しい名前 」で呼ばないといけなくなる。それを「 計算機自然 」と呼んでいます。

今の時代は、計算機の魔術化によって、ほぼ理由が分かっていないのに、結果が使える時代になっています。ここであらゆるものの動作や理由が分かっていない事の現代において重要な点は、多くの場合、専門家ですら分かっていないという事。だけど結果が出るから使っている。そんな「 デジタルネイチャー 」が物凄いスピードで進化しているので、今までの世界認識では追いつけていないんです。
今これって見えてますか?Stable Diffusion Developer Adoptionっていうのなんですけど、世の中にはBitcoinとかEthereumとか色々なものがあって、その中でStable Diffusionの進化は直角なんです。恐らくこれはこのままの速度で行くだろうと思います。後、シンギュラリティが2040年って言われたのは、2011年から見た角度なんですけど、シンギュラリティと言われた後に、世の中はAIの研究をしまくるようになったので、角度がもっと急になっていきました。

AGIという人間レベルを超えたコンピュータ知能に人がアクセスでき始めるのは2025年から2030年の間にはなるだろうって最近は言われています。日本人は意外とこういう類いの話をしないので、意外と気付いてない。でも、一端では気付いていて、例えばAIで画像を生成するのも綺麗にできるし、動画だって作れるじゃないですか?昔はアニメーションを書くって物凄いコストがかかったんだけど、今はリアルタイムで出来るし出来上がる量も凄く多い。最近は論文を出してくれる人工知能も出てきてしまいました。
やがて一部のめちゃくちゃ面白い事を思いつく人だけが、論文を1人で200本とかあげる様になるんですよ。この速度感がすごく良くて・・・。その感じは、ちょっと見た方が早いかもですね。

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シライ 
それ、物語もいけるのかなぁ。

落合 
物語? 多分余裕ですよ。

シライ 
戯曲も?

落合 
戯曲も多分。
昨日、AIに文章を書かせていたら感動しちゃってですね( 笑 )人間が打った文章は「 リアルとデジタルの境界がほとんどなくなっている所にリアルとデジタルの境界がある 」なんですけど、その後をAIが書いてくれたんです。
それが「 人間を含むすべての生命の連鎖は広大なデジタル世界へとそのフィールドを広げつつある。それは生命が新たなフィールドを獲得し、生死を超えて高度化し始めたことを意味する。これを死の終焉という。生と死の境界線は殆どが失われている・・・ 」って、ゾクッとしますよね。

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シライ 
これ、良い文章だな

長塚 
凄いな

落合 
感動的なんですよ。AIが書いてなくても「 死の終焉 」なんて言葉を人間が綺麗に出すのって大変だろうし、きっと頭を抱えるよなって思うんです

長塚 
これって、落合さんが特別に作り出したAIなの?

落合 
これは一般的に使えるAIです。こうしてAIは物凄い速度で書いてくれるわけですね。

シライ 
これは、毎回同じものになるんです?

落合 
ランダム値を揃えていれば同じものが出てきますけど、ランダムにも出せます。例えば、英語で生成して最後日本語にするようにしますね。
こうすると戯曲ですよね?2人はずっと会話をしているので。ブリハスパティとジャスパーが出てきました。この2人は何も指示を出していないのに、一体どこから来たんだろう?(笑)
なになに?パティ「 あなたの言う「 線 」とは、それ自体が一種の仮想現実のようなものですね? 」ジャスパー「 そうです。そうです。ある程度全ての境界線は一種の仮想現実として存在しています。すべての境界線は経験できることの限界でもあります。それなのに境界線上で物事を行わなければならないのは、その境界線がなければ全く何も存在しないからです・・・ 」

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長塚 
なんで、そうですって2回言うんだろう・・・。

落合 
ジャスパーは、「そうです。そうです」っていうキャラクターになっていますね。

シライ・長塚 
なってる( 笑 )

長塚 
コンピューターに疎いから僕にはちょっと分からないんですけど、AI それぞれに個性っていうのはあるんですかね?

落合 
個性をチューニングするのは最近の流行りです。入力の方法はさまざま。学習データを変えたり、事前に指令を出したり。

長塚 
AIが真理に近いようなことを話していますね?

落合 
これは、僕が真理に近いような話し方をする文章を入れたからですね。

シライ 
これ、敵わんな・・・。俺は朝まで書いて1行も進まなかったのに・・・。

落合 
文章のトーンとかも割と決めることが出来ます。重要なのは情報的なプロセスは高速なのですが、それと同じロボットを作るとすると、熱力学的限界があるし、物理法則を越えられない。しかしこの物理世界は環境の応答速度も充分に遅いし、人間の認知バイアスがボトルネックになるし、大人は思い出に勝てない。
コンピュータは十分に高速な進展を遂げながらも、人間社会にまつわるそれ以外の情報的プロセスは随分高速に進むので、楽しいことが起こっているなって思いながら作品を作っていますけど。

シライ 
人間が将棋でAI勝てない様に、文章も勝てない?

落合 
勝てないと思います。

シライ 
スピードは勿論勝てないと思うんだけど・・・。これ、演劇やばくないですか?

落合 
大丈夫ですよ。皆さんが一日に2百本の台本を書くって事になるわけですから。

シライ 
そうか、そう考えれば良いのか。

落合 
そう考えるだけでモチベーションが全然違うんです。

シライ 
俺が書いてるって思えば良いんだ。

落合 
そうそう。僕は、先週500曲は作曲しましたから。

シライ 
これを俺が書いてるって思えるもんですか?

落合 
はい。基本的にDJだと思えば。

シライ 
なるほど

長塚 
入り口は、作家が作っているわけだよね。

落合 
お膳立てはしていますね。

シライ マジで欲しいかも(笑)

落合 これは、今使ってたのはノーベルAIっていうオープンサービスなので誰でも使えます。ちゃんと動くのは英語限定だけど。日本語のプロトタイプも公開されていますが。英語でも今みたいに日本語翻訳をしてあげれば良いと思います。

シライ 
これに手を出したら、何かが変わっていく気がする・・・。

落合 
自分が直角に上り始める瞬間がある。技術進化速度と同じだけ文章が書ける(笑)

シライ 
でも、俺じゃないってならないかなぁ。

落合 
メディアアートをしている僕からすれば、あんまり変わらないですね。道具は常に変わり続ける。

長塚 
凄いな・・・。最近、中野信子さんがAIで作った絵画っていうのを見て、それも凄いなって思った。

AIで作った絵画

落合 
これは、さっきAIが書いた文章を元に描いた絵ですけど。AIが書いた文章を分節化して、その文節から絵を描かせて、辻褄が合いそうな絵だけを拾ってくるっていう作業をしてあげると、それだけでロードムービーが作れそうじゃないですか?

長塚 
落合さんの中で、アーティストっていうのは、今後どうなっていくんだろう?

落合 
料理人かお膳立てをする人だと思いますね。( 共有画面に戻って )これは音楽生成AIなんですけど、150秒と指示して再生ボタンを押すとAIが音楽を作り始めます。注目すべき所は、150秒の曲を15秒ぐらいで作るんです。人類って何だったんだろうな?って思うことが結構あって・・・( 出来た曲を3人で聞きながら )ほら、ちゃんとした曲を作るんですよ。

長塚 
え?これ、話している間に3曲も出来たって事?

落合 
今、4曲目も出来ましたね。全部の曲を聞き終わる前に次の曲が完成するから、全部を聞く事が出来ないんですよ。この動きって、明らかに今までと違いますよね?

長塚 
違うねぇ。

落合 
今までだったら、1曲目を考え始めたぐらいですよね?再生を始めてから1分25秒しか経ってないのに、1分30秒の曲が7曲手に入ってる。

シライ 
なんて言うテーマを入れていたんですか?

落合
 「 アジアン・パーカッション・トラディショナル・太鼓 」とかって書いてあります。サントラだったらある程度はこういう感じで良いかなと。言葉を打てればいいから、音も言葉で作っているし、言葉から言葉への変換も作っているので、真髄に近いなって思います。

長塚 
本人が、作られた文章を評価する時間ってあるじゃない?

落合 評価をどれだけ早く・もしくはどう展開するのかを考えることが出来るのか?が、一番のポイントです。且つその評価する時間を効率化するための技術を、我々の研究室で研究しています。出来た写真を効率的に評価して、人間が決めやすい方法があると更に高速で作る事が出来る。コンテンツの生成速度を人類は振り切ると思います。
今まで芥川龍之介が生涯でこれだけの数の作品を書きましたっていう時代から、小学生が200本を一時間で書きました。という事になるので、その中から物凄い作品は生まれてくると思うんですよ。

長塚 
ただ、それ見つけられない可能性もある。

落合 
そうです。こんなに世の中にとって、作る事が簡単になってしまうと見つけられない可能性がある。

シライ 
それは、現在のAIには出来ない?

落合 
AIに、それをさせるシステムを作っていくのが重要なので近頃は研究しています。

長塚 
人間っていらなくなる?

落合 
まぁ、お金を払えるのは人間だけなので必要だと思います。僕はロボットにお金を払わせれば良いって、昔から言ってるんです。価値が高いと人が思ったものに経済効果があるとされるので。
ただ、料理みたいになっちゃう可能性はかなり高いですね。誰でも卵かけご飯は作れるから、卵かけご飯みたいな脚本は誰でも書ける。ただそこにトリュフをかけるか?トリュフをどこで見つけてくるか?みたいな事がポイントになってしまう可能性が高いなって思っていて、作曲家は、敵がかなり増えるから困ると思うし、イラストレーターは殆ど失業するかもしれないレベル。でも、AIを使いこなせるイラストレーターは最強で、一日に1000枚でも2000枚でも作る。

長塚 
落合さんがいて、驚いているケイタさんもいて、今のこの事象に対峙している人間として、僕らは何を描けるか?っていう所も追い越されそうだね。

落合 
それも凄くおもしろくないですか?コンテクストとして楽しめれば、楽しいはずなんです。それにこれは、追い越すか?追い越せないのか?より、エンジョイするか?しないか?の議論だなって思っています。

シライ 
すげぇ面白くて、聞けてよかったぁ。

長塚 
ついてるよ。こんな話を聞けて。

シライ 
それでも僕たちは、亀の歩みで進んでいくのか?問われているっていう事かなぁ。

落合 
そうですね。乗るなら早めに乗った方がいいし、乗らないなら突き詰めていった方がいいと思うし。

シライ 
どっちかだなぁ。本当に。

落合 
今、よくこれで遊んでいるんですけど。ZOOMのスクショを撮って、バリエーションを作るんです。これはOpenAIのDalle2ですね。

シライ 
何を作れって指示を出しているんですか?

落合 
シライさんのバリエーションを何人か作ってくださいって。シライさんみたいな、シライさんじゃない人を作ってくださいって指示を出したので、間もなくシライさんじゃない人がいっぱい出来ます。

シライ 
( 爆笑 )なるほど、なるほど。

OpenAIの画像

落合 
まだ顔の安定性が低いですがこれもすぐ変わると思います。

シライ 
これだけの速さでコンピューターからの情報が来ると、落合さんの脳って大丈夫なんですか?ついて行けるんですか?

落合 
はい。イントロ聞いただけで曲を当てるクイズってあったじゃないですか?人生があの感じに近いです。良い事か悪い事かは置いたとして、適用しきってみれば違った光景が見えるのかな?と思っています。

長塚 
これを見せてもらった事で「 デジタルネイチャー 」っていう感覚はなんとなく分かる気がします。

落合 
コンピューターの進化速度があまりに早いので、人間の価値感覚がちょっと変わってしまうのですが、お2人と話をしていて非常にフィジカルなコラボレーションをしたら楽しそうだったので、是非一緒に皆さんと何かが出来ればと思いました。それと、僕は光の速度で転がり続けているので、何かあったら拾ってください( 笑 )よろしくお願いします。

YoichiOchiaiさんの画像

シライ 
僕はきっと亀の速度で歩くので、亀の速度と光の速度で一緒にやれる事が本当に面白そうです。きっと極めて個人的な事で、物を作り続けていくと思うし、大学の先生も協会の理事もやっているけど、基本的には個人的なものを作り続けたいし、そこにいたいなって思うんでね。圭史さんにはパブリックな所で広げていって頂いて、何か違う立場で物を一緒にやれたらいいなって本当に思っています。

長塚 
このスピード感を見せてもらえる機会って意外となくて。特に演劇をやっている僕達からすると、この社会のスピード感とAIが追いついてくるという事象の中で、僕らはどう向き合っていくのか?凄く面白いよね。抗うのも、乗っかるのもどっちも面白そうだっていう事を、今日は初めて知ったんだけど、もうちょっと色んな話をしてみたいと思いました。落合さんの一番の安堵する時間っていうものはなんなのか?みたいな事も含めて。僕はアナログな事しかして来てないから、いつもiphoneを投げ捨てようかどうしようか悩むぐらいだし、だけどこの現状を知れた事にむちゃくちゃワクワクしました。

落合 
ありがとうございます。僕も非常に楽しかったし、盆踊りをしたいです。

長塚 
僕らは、まず落合さんに劇場に来てもらう事からだろうね。

落合 
一日に100本書けるか、仕事がなくなるか?って言ったら、一日に100本書ける事は楽しいじゃないですか?楽しいって思うと楽しい。本日はありがとうございました。

長塚・シライ 
ありがとうございました。

長塚圭史の画像

長塚圭史

劇作家・演出家・俳優。1996年、演劇プロデュースユニット阿佐ヶ谷スパイダースを旗揚げし、作・演出を手掛ける。2017年より劇団化。2008年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。2011年、ソロプロジェクト・葛河思潮社を始動、三好十郎作『 浮標 』、『 冒した者 』などを上演。2017年、新ユニット・新ロイヤル大衆舎を結成し、北條秀司作『王将』三部作を下北沢・小劇場楽園で上演。KAAT神奈川芸術劇場での演出作品に『 作者を探す六人の登場人物 』( 2017年 / 上演台本・演出 )、『 セールスマンの死 』( 18年・21年 / 演出 )、『常陸坊海尊』(2019年 / 演出 )、『 王将 』- 三部作 -( 2021年 / 構成台本・演出・出演 )、『 近松心中物語 』( 2021年 / 演出 )、『 冒険者たち 〜JOURNEY TO THE WEST〜 』( 2022年 / 上演台本・演出・出演 )、『 夜の女たち 』( 2022年/上演台本・演出 )。その他近年の主な舞台に、新ロイヤル大衆舎『 緊急事態軽演劇八夜 』( 2020年 / 演出・出演 )、『 イヌビト~犬人~ 』( 2020年 / 作・演出・出演 )、阿佐ヶ谷スパイダース『 老いと建築 』( 2021年 / 作・演出・出演 )など。2005年第55回芸術選奨文部科学大臣新人賞、2007年第14回読売演劇大賞優秀演出家賞受賞。俳優としても映画『 ランブラーズ2 』、『 シン・ウルトラマン 』、『 百花 』などに出演。21年4月よりKAAT神奈川芸術劇場芸術監督。

落合陽一の画像

落合陽一

メディアアーティスト。1987年生まれ、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了(学際情報学府初の早期修了 )、博士( 学際情報学 )。筑波大学デジタルネイチャー開発研究センターセンター長、准教授・JSTCRESTxDiversityプロジェクト研究代表。IPA認定スーパークリエータ/天才プログラマー.ピクシーダスト テクノロジーズ代表取締役.
2017年 – 2019年まで筑波大学学長補佐,2018年より内閣府知的財産戦略ビジョン専門調査会委員,内閣府「 ムーンショット型研究開発制度 」ビジョナリー会議委員及び内閣府ムーンショットアンバサダー,デジタル改革法案WG構成員,2020-2021年度文化庁文化交流使,大阪・関西万博テーマ事業プロデューサーなどを歴任.

2015年WorldTechnologyAward、2016年PrixArsElectronica、EUよりSTARTSPrizeを受賞。LavalVirtualAwardを2017年まで4年連続5回受賞、2017年スイス・ザンガレンシンポジウムよりLeadersofTomorrow選出、2019年SXSWCreativeExperienceARROWAwards受賞、2021年MIT Technology Review Innovators Under 35 Japan ,2021 PMI Future 50、Apollo Magazine 40 UNDER 40 ART and TECHなどをはじめアート分野・テクノロジー分野で受賞多数。
個展として「 ImageandMatter( マレーシア・2016 ) 」、「 質量への憧憬( 東京・2019 )」、「 情念との反芻( ライカ銀座・2019 ) 」など。その他の展示として、「 AI展( バービカンセンター、イギリス・2019 ) 」、「 計算機自然( 未来館・2020 )」など多数出展。著作として「 魔法の世紀( 2015 )」、「 デジタルネイチャー( 2018 )」など。写真集「 質量への憧憬( amana・2019 )」など。メディアアートを計算機自然のヴァナキュラー的民藝と捉え、「 物化する計算機自然と対峙し、質量と映像の間にある憧憬や情念を反芻する 」をステートメントに、研究や芸術活動の枠を自由に越境し、探求と表現を継続している。

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シライケイタ

演出家、劇作家、俳優。劇団温泉ドラゴン代表。
桐朋学園芸術短期大学演劇専攻在学中に、蜷川幸雄演出の「 ロミオとジュリエット 」パリス役に抜擢され俳優デビュー。その後、数々の舞台やテレビ、CMに出演。2011年より劇作と演出を開始。劇団温泉ドラゴンの座付き作家・演出家として数々の作品を発表。劇団外での演出や脚本提供も多い。新劇、アングラ劇団、プロデュース公演など様々なジャンルで創作を行う。社会における人間存在の在り方を、劇場空間における俳優の肉体を通して表出させる演出手法に定評があり、生と死を見つめた骨太な作品作りが特徴。

「 若手演出家コンクール2013 」において、優秀賞と観客賞。2015年、韓国の密陽( ミリャン )演劇祭において、「 BIRTH 」が戯曲賞。2018年『 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 』( 若松プロダクション )、『 袴垂れはどこだ 』( 劇団俳小 )の演出において第25回読売演劇大賞「 杉村春子賞 」。2019年度の読売演劇大賞において、上半期の演出家ベスト5に選出。
2018年度から21年度までセゾン文化財団シニアフェロー。
桐朋学園芸術短期大学、非常勤講師。
日本演出者協会副理事長。日韓演劇交流センター会長。
著書に、「 BIRTH×SCRAP 」(2019)がある。行う。社会における人間存在の在り方を、劇場空間における俳優の肉体を通して表出させる演出手法に定評があり、生と死を見つめた骨太な作品作りが特徴。

「 若手演出家コンクール2013 」において、優秀賞と観客賞。2015年、韓国の密陽( ミリャン )演劇祭において、「 BIRTH 」が戯曲賞。2018年『 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 』( 若松プロダクション )、『 袴垂れはどこだ 』( 劇団俳小 )の演出において第25回読売演劇大賞「 杉村春子賞 」。2019年度の読売演劇大賞において、上半期の演出家ベスト5に選出。
2018年度から21年度までセゾン文化財団シニアフェロー。
桐朋学園芸術短期大学、非常勤講師。
日本演出者協会副理事長。日韓演劇交流センター会長。
著書に、「 BIRTH×SCRAP 」(2019)がある。