若手演出家コンクール2020
最優秀賞受賞者インタビュー〈広報部〉

三上陽永

三上陽永(ぽこぽこクラブ)『見てないで降りてこいよ』

―― 去年の作品より、生活に根ざしたような感じがしましたが、心境の変化があったのでしょうか?

三上
えーっと。僕らの団体ポコポコクラブ自体、作家が3人いまして。今日役者で出てた渡辺って言うのと、今回はちょっと出てないんですけど、杉浦っていうのと、僕の3人いまして。前回は渡辺の本で。渡部は結構社会派で、僕は結構人情ものが好きで、杉浦っていうのがファンタジーを書くので。今回は僕だったので作家自体が変わってます。演出は一緒なんですけどね。

―― コロナ禍で何か変わったことはありますか?

三上
そうですね。やっぱりコロナ禍で関連付けると、人と人との距離がどんどん離れていくっていうのが、すごく寂しいなっていうのがあって。でも演劇の生の温度を感じたいなっていうのがあって。映像配信とかを別に否定はしてないんですけど、映画とかの方がカット割りも何も、全部やれてるじゃないですか、演劇の失敗したりとかも含めて、「生でやる」って、熱を感じられるから。コロナ禍でどんどん人との距離が開いていって、リモートでいろんなことやって、飲み会もリモートになって、「気持ちは離れてないよ」って言うけど物理的な距離がどんどん離れていくのが、寂しいなっていうのをすごくコロナ禍中に感じましたね。

今回の作品も、すごくベタに友情だったりを描いていて、でもこういうのが今、逆に「非日常」になってるような気がして。パンフにも書いたんですけど、今回出てた坂本の突発性難聴っていうのが起点になっていて。彼は元々、ジャズシンガーを目指してて、それで本当に突発性難聴になって耳が聞こえなくなって…今も補聴器つけながらやってるんですけど。それは本当に実話で、クラブで仕事しているうちに耳が片っぽ聞こえなくなって、今もずっと進行してて。彼自身が障害者手帳も取得できるっていう状態にあるでもソレを取得したくないっていうジレンマがあって…。その事は、俺の中でも結構大きくて、僕は、「そんなの関係ないよ」ってずっと思ってたけど、まぁ、ある瞬間にやっぱり本当に聞こえなかったりするんですよ。本当に、僕の声とか慣れてる人の声は聞こえてるんです。だけど、慣れてない人の声が聞こえなくなったりとか、本当に携帯の音が聞こえなかったっていうエピソードもリアルで。ちょっと遠慮する自分がいたりとかして。あーなんか、すごくそれは自分の中でもモヤモヤすると言うか、「そんなことない」って言いながらもやっぱり気を使うことが駄目なのか、でもそんなこともないはずなんだけど…みたいな…なんかモヤモヤがありながら。 坂本とも話をし、「自分としてもそういう風に見られたくはない」という様な話もしながら。本当は、坂本と二人の話にしようとしたんですよね。でも、前回演出家コンクールに出た時にやっぱり生音の方が、仕込み時間とか考えるとアレだなと思って。で一緒にやってみたいアーティストさんが、ウラニーノさんで、今回初舞台で。

――元々ギタリストなんですね?

 三上
そう。プロのミュージシャンで『ウラニーノ』っていうバンドの方で、彼の雰囲気とかを見て、自閉症とか緘黙症っていうのをちょっと連想しつつ、それで、こういう感じになったんです。なんか、難しいですよね。だから…なんかテーマを語るのも恥ずかしいかもしんないんですけど、結構、すごく「どうしようもない事」っていうのがいっぱい増えてきてて、お母さんも、やっぱりその「どうしようもない事」が自分の息子の障害で。リアルにあれば障害認定するかしないかって結構スレスレなんですよね。緘黙症って特に。緘黙症の子って頭はしっかりしてるんで、知的障害っていうのは取れないんですよ。ただ先生によっては、自分で答えられない所っていうのを全部バツにするとして知的障害にすることもできる。あのお母さんはあのお母さんで、自分の息子を知的障害者にしてしまっていいのかどうかで悩んだ挙句、ただ、「どうしようもない事」を「何とか」して行かなきゃいけないっていうので、決断が必要なのかなっていうところから。それは…まぁ自分もこの稽古中に親を亡くしたんですよ。父親が亡くなって…。ちょっと重いかもしれないんですけど。稽古中に亡くなって…父親もやっぱりガンだったので、「何とか」したいけど、どうにもできなくて。だから「どうしようもない事」ってあるよなって。でもそれを「枷」にして行くよりは「糧」にできないかなって言うふうに、すごく考えて。だから自分的には結構前向きな作品にしてるつもりではあります(笑)。 なんかそんな感じです。結構コロナ禍でも前向きになれないようなことがいっぱいあったじゃないですか、それが「枷」のままだとしんどいなーっていうのがあって。じゃあ、どう変えてくかって言ったら、作中のお母さんの「覚悟」みたいな、どっかで「覚悟」を決めないと、それがちゃんと「糧」に変わって行かないのかなと思って。そういうところから今回みたいな物語になりました。

――最近聞く音楽とかありますか?

三上
いやー、でも最近はずっと「ウラニーノ」ばっか聞いてましたね。そう、「愛してる」って途中に入ってた、あの曲だけが元々「ウラニーノ」さんのアルバムに入ってる曲で。鴻上尚史の劇団、虚構の劇団ってとこにいまして、そこのダンス曲で使ったんですよ。それが出会いだったんで、あとは、照明家さんの坂本さんって方、コンドルズの照明やってる人なんですけど、あの方も歌を歌うんですよ。あの人の作詞作曲は途中の夕日の歌で、ラストが山岸さんの、今回のために書き卸してくれた曲で、だから結構音楽劇のイメージもあって。いい曲作っていただいたなと思って、でも初舞台だから緊張しただろうなーと。でも、結構飄々としてるんですよね。

――ギミックがすごく多いじゃないですか。前作もそうでしたけど、それは全部ご自身で考えられてるんですか?

三上
そうですね、自分で考える時もあるし、やっぱり僕らは劇団で活動するっていうのがすごく好きで、「ぽこぽこクラブ」だったら、5人のメンバーとあとスタッフさん…なんか自分一人考えるものって結構限界があるなと思ってて。だからみんなで結構あーでもないこーでもないって言って。ただ今回は個人的に、山岸君が初めての演劇なので、結構演劇で楽しんでもらいたいなっていう思いもあり、なんかこんな表現もできるし、こんなこともできるよ!っていうのをちょっと心がけてやりました。はい。自分も37歳とかになって、結構「どうしようもない事」っていうのが色んな角度から見えてきて。障害もそうですし、才能もそうだと思ってて、まあ若くても20そこそこでやっぱりすごいバーンって演出家とか役者でも跳ねる人をいっぱい見てて。だからそれを横目で見ながら続けていく人達の方が大半であって。それも何か一つ「しょうがない」ことで。いろんな「しょうがない」ことを結構。だから「死」もそうです。死ぬことも「しょうがない」こと。だから「しょうがないこと」いっぱいあるけど、「でも!」っていうところに繋げたかったのかな。だからまあそうですね。自分の才能の限界とか、限界って思いたくないけどやっぱり認めざるを得ない物があって。だから俺は「グループ」でやるのかなって。 一人の天才になりたいなって思ってた時期もあるけど。まぁそれはできないんだなってなって。じゃ辞めるか?ってなった時に、でもやりたいなーってなって。じゃあみんなでやったらもしかしたら、一人の天才よりも面白いもの作れるかもね。っていうところでやってます。

――今後の展望とかってありますか?

三上
結構審査員の方に言われてたこととか、やっぱり鵜山さんに言われたことも、すごく「そ!そ!その通り!」と思ったこともあったし、もっとじっくりやりたいとか、じっくり見てさ、みたいな。「だって一時間しか無いじゃん(笑)」とか思いながら。時間(制限)があったじゃん?って。本当はもっと「自分のやりたい芝居」ってのがあって、自分が本当に面白いと思う芝居をここに、一時間の枠で持ってくる実力ってのがやっぱ無い。って自分で思ってて、だから(審査会で)言われて、「そうだよな」ってことが多かったから。やっぱそこの力はつけたいなと思います。俺やっぱ、演劇を見た人が、ちっちゃい子から年寄りまで「また見たい」と思わせる作品を兎に角作りたい。芸術より。まぁ芸術もあっていいんだけど、だからそれを突き詰めて。もう一回その、80年代のさ、それこそ、俺のボスである鴻上さんとか、死ぬほど並んで…今だったらさ?iPhoneぐらいじゃん?並ぶの。演劇のチケット買うのに皆あんなに並んだって時代がさ。時代遅れじゃなくてもう一回リフレインさせたくて。それをベタと言われようが何しようが、大衆にわかる。でも、ああいう方々(審査委員)にもわかる。専門の方にもわかるお芝居を探して……。悪く言われれば八方美人だけど…でもそれは思いますね。

――演出者協会について

三上
演出者協会ですか…。俺は、あってくれることは凄くありがたい。でもやっぱり、もっともっと、もっと風通しを良くしたい。って思う。前も言ったかもしれないけど、…なんか一年間無料で入れるんですよこれで僕。(コンクール最優秀者には一年間無料で演出者協会の会員に入れる特典がある。)でも最優秀になるまでは入らないって。とったら入りますって言ってたんで、ま、入るんですけど。何ができるかわかんないんですけど、ただ、日本の演劇を絶対盛り上げたくって、盛り上げるためにはこういう人たちがいっぱいいなきゃいけなくて、流山児さんもそうですけど、日澤さんとか鵜山さんとかシライさんとか、ああいう人たちの意見を聞ける場所があるっていうのは、絶対にOKで。ただ、今日、今井さん(コンクール優秀賞)も仰ってた、審査基準とか。もっと年代をばらけさせたほうが良いんじゃない?ってういのは。今もやってるとは思うんですけど、俺みたいなペーペーが、ギャーギャーできたらいいなって思いますね。西沢さんとかが仕切ってるけど、結構もう大先輩ですもんね。ソコはもっと、若い演出家たちが盛り上げていく様になればいいな、っていうのはすごく思います。

――点数張り出すのとかも、大先輩ですしね。

三上
そう。俺からしたらそこやらせちゃいけないでしょ。みたいな。演出家の人って厳しいし、怖いイメージあるけど、でも独特の世界観を持ってる凄い素敵な人が多いじゃないですか。だから、なんかそこがリンクすれば日本の演劇がもっともっと、活性化するし、二分化しないと思うんですよ。若手は若手で、「いや…いいよ演出者協会とか…」っていう風にならない方がいい。「だって礎作ってきた人たちだから」と思うんですよね。だから、そこがちゃんと合致できるように俺らも努力しなきゃいけない。先輩たちが試行錯誤してやってんだから、俺等があぐら搔いてちゃいかんなと。だから、反骨精神よりも、もっと楽しいものが作りたい。「お前らなんか関係ねぇ!もっといいもん作ったるわい!」ってのよりは、いただけるもんは全部いただきたいです。なんかもう開き直るっていうか、だからそこの体制が面白いか云々ってよりは、絶対に得られるものがあるはずだし、自分から出るものがたかが知れてるって悔しいけど思っちゃう。でも「繋ぎ合わせる力は有る」って思ってるから。こういう場所があることは意味があって、あとはどう活用するかじゃないかな。

――最後に一言ありますか?

三上
現実の方が、非現実になってきているので異常じゃないですか。だから舞台の上だけでも、なんかこう…まあ臭いこと言うけど(笑)まぁ、「舞台の上だけでも夢をみたいな」ってすごく思います。なんかすごく自分が思ってたよりも人生ってあっけないし、残酷だし、思い描いてたような感じじゃないんだろうなって。なんか父親の死とか、じいちゃんやばあちゃんの死とか見てても、こんなふうにあっけなく終わっちゃうの?って。意外と劇的じゃ無いじゃないですか。「え?死んだ?」って。って考えると、だから舞台の上だけでも、「そんなことある?」って言われるかもしれないけど、劇的であっていいし、すごく友情があったり、愛情があったり…なんか「俺はそっちが好きです!」って感じ。何と言われようとも舞台上だけはいいじゃんみたいな感じです! 

 聞き手 廣岡凡一 (日本演出者協会 / 広報部)

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